薄く色がついた粉が頭上でぶちまけられて、カレーパンマンは咄嗟に腕で口と鼻を覆う。
しかし、ほんの少し吸っただけで効果てきめん、今まで散々アンパンマン達を困らせ、けれどそれ以上にうっかり手を滑らせたばいきんまん達にも猛威をふるっていたねむりん草の粉末は、今回もあっという間に彼の意識を拭い去った。
膝の力が抜けて、がくんと地面に落ちる。合わせて、背骨が溶け切ったように背中を支え切れなくなり、まぶたを持ち上げていられなくなった。
衝撃を和らげるために手を前に出す余裕もなければ、そもそも指先に入れる力もない。カレーパンマンはばったりと倒れた。
霞む視界の中で、自分とは違ってしっかりと立った二歩足が二人分見えた。
黒と紫とオレンジと赤。
まぶたが閉られる直前、最後に網膜に映されたのはその四色だった。


「はぁああなぁああああせぇええええええええ!!!!」
カレーパンマンは唯一自由な足をしっちゃかめっちゃかに掻き回した。
離せと言うからには彼は今捕まえられていて、確かにぎっちりと隙間なく胴体に巻かれた黄色いリボンは腕をも巻き込み、更には粗末な椅子の背もたれも一緒になって縛られていた。
ようやく目が覚めてみれば、そこは薄暗く、壁一面に機械が敷き詰められた研究所のような空間だった。ぶんぶんと頭を振って、これが夢でないことを確認したカレーパンマンは叫ぶ。
離せと言って離してもらえるとは思っていないが、とにかくねむりん草の効き目が切れて、自分が起きたことを誰かに気付かせ、ここに来させないと。
カレーパンマン以外誰もいないと言う訳ではないが、でもここにいるのは、
「おいロールパンナ! これ外してくれよ、オレたち仲間だろ!」
「…………」
そう頼んでもうんともすんとも言わない無口な女の子だけだから。散らかったラボの中、堆く積まれたがらくたの天辺に爪先を揃えて立つ覆面の彼女は、つまらなさそうに彼を一瞥し、すいっと飛んで出ていってしまった。
「あーこら! てめーロールパンナぁ!!」
頭に来てじたばたと暴れる。いや、彼女のことだ、ばいきんまんに拘束しろと言われたからそうしただけに違いない。
カレーパンマン個人にはロールパンナは恨みもなければ興味もないことは解っている。あの黒い悪魔の、ある種いいなりにならざるを得ない彼女は、守ってやらねばならない存在だということも、それはもう良く解っている。
でも、
「ほんっとに、メロンパンナとアンパンマンにしか興味ないんだからあんのやろう……!」
と思ってしまうのも事実だった。
「あ、起きたんだ」
じたじた床を踏んでいると、自動開きのドアからドキンちゃんがやって来た。ピンクと白が渦巻く大きな棒付きキャンディを舐めながら、よくもまあそんな気軽に声をかけられる!
カレーパンマンはぎいっと睨みつけた。
「怖い顔ー」
ぺろぺろと飴を舐めながら、歌うようにドキンちゃんは言う。そして大きな動作で振り返った。
「で、どうするのばいきんまん。もう始めちゃっていいのー?」
しかし開け放されたドアの向こうから返事は聞こえてこない。
「なーに始めるつもりだよ!」
「んー、そうねえ、あえて言うなら…ストレス発散?」
ぱきぱきと飴を砕いて口に含み、ドキンちゃんは棒をゴミ箱へと投げる。
そして傍らのデスクに置かれた注射器を手に取った。
暫く、くるくるとそれを手の中で回して、首を傾げる。僅かに室内に差し込む光で針を照らしながら、ドキンちゃんは呟いた。
「適当に射しても大丈夫よね」
「ばばばばいきんまぁあん!!! 早く来てぇええええ!!」
来たところで今度はそのばいきんまんの手によってまともに注射を打たれるのだろうが、しかしドキンちゃんの手つきよりは安心できるはずだ……なんてことを考えたのではなくて、ただ誰でもいいから彼女を止めて欲しかったから呼んだまでだ。
その声が届いたのか、遅れてばいきんまんもラボに入って来た。
「ストレス発散じゃないよドキンちゃん。実験実験」
肩は落ち、しっぽとつのはふにゃんと垂れ、とぼとぼと歩いてくる。
いつものテンションはどこかに落としてきたのか、発明と同じく大好きな実験にかかろうとしている割には目に見えて沈んでいた。
「なあ、どーしたんだよばいきんまんは」
「アンパンマンに相手にされなくてへこんでるのよ」
「はぁー? そんなのいつものことだろー?」
こそこそと耳打ちする二人だったが、かの人物にはばっちり聞こえていた。
ぴん! とつのとしっぽを立てて、頭上で腕を振る。
「あ、相手にされなかったわけじゃないのだ! ちょっと『今日は忙しいからいたずらしないでね行けないから』って出会い頭に言われただけ! 望むところだ、今日はいたずらしてやんない!」
言った後、ずかずかとカレーパンマンの所までやってきて、ばいきんまんはドキンちゃんから注射器を取り上げた。
「これはいたずらじゃないってのか!? ひとをさらって縛ってまでしてるくせに!」
「うるさいうるさい! ちょっと黙ってろ!」
カレーパンマンは足をじたばたさせて怒鳴る。が、ばいきんまんによって注射器から押し出された液体が、目の前でぴゅうっと小さな弧を描いて、彼を怯ませた。
ばいきんまんはリボンの上からカレーパンマンの腕を押さえ、そこに針を刺す。
「ぐ……」
細く鋭いものが服と肉を押し破り、侵入してくる感覚にカレーパンマンは歯を食いしばる。子どもっぽいと笑われようが、注射は嫌いだ、だいっきらいだ。
カレーパンマンは顔を背けて、ばいきんまんの手元から目を逸らした。
注射器に入っていた液体は無色透明で、いっそ紫だったり緑だったりした方が「いかにもやばそうだ」と解る分だけ良かったのかもしれない。
「はぁあ……」
針を抜かれ、緊張状態が解かれてぐったりするカレーパンマン。ばいきんまんは注射器を床に投げ捨てた。
「それに、アンパンマンにはこういう手段で勝ちたくないのだ、正々堂々、卑怯とずると悪知恵で負かしてやる!」
「むじゅん!」
覚えたての難しい言葉で指摘する。
が、次の瞬間には体に小さな電気が走ったような感覚に襲われ、カレーパンマンは肩をびくつかせた。
指先と爪先から、さらさらと砂が流れていくように力が抜けていく。しかしねむりん草の粉を振られた時のような眠気は訪れない。
「おい! おかしいだろこれ!」
ねむりん草だけでなく、これまでしびれ草やらくしゃみ草、しゃっくり草やらなんやら食らってきたカレーパンマンだったが、ただ力が抜けていくだけなんて初めてだ。そんなものジャムおじさんの博識を頼ってみてもきっと存在しない。
「すごいでしょ、体は動かないのに喋れるのよ。久々に傑作ね、ばいきんまん」
「まぁね!」
ドキンちゃんに褒められて嬉しいらしい、ばいきんまんはえへんと胸を張った。ご機嫌のまま、ばいきんまんは大きな鋏を引っ張り出して、カレーパンマンのリボンをざっくりと切った。
くてんと椅子から転がり落ちて、カレーパンマンは冷たい床にうつ伏せになる。
「ちょ、ちょっと……」
見えるのは二人の足だけ。ここに連れて来られる際と同じ光景だが、しかしさっきとは違って、目は冴え冴えと覚めている。
黒と紫とオレンジと赤が一歩ずつ近づいてくる。
これから何をされるのかさっぱり解らなくて、さああっと血の気が引いた。


「ごーかんだ! りょーじょくだ! じゅーりんだぁっ!」
穏やかでない言葉を並べ、カレーパンマンはぎゃあぎゃあと喚いた。
その着衣は乱れ…といってもベルトが外され、マントをくくる紐が抜かれて襟元が緩んでいるだけだったが、何も纏わないばいきんまん達と違って、普段顔以外に肌を全く見せない彼にとってはそれだけでも十分に辱めだった。
カレーパンマンの言葉に、はてなマークを浮かべるふたり。
「カレーパンマンのくせに生意気ね、あたしの知らない言葉使うなんて。どういう意味? ばいきんまん」
「うーん……後で仙人にでも聞いてみるのだ」
「そうね。じゃあ…何からいく?」
「これとか面白いと思う」
ばいきんまんはがらくたの山の中から試験管を取り出した。頷き、心得たようにドキンちゃんは念のためにカレーパンマンを押さえつける。
「いや…無理だよ! 無理だからなそんなの!」
ぞおおおっとカレーパンマンの全身から音を立てて血の気が引いていく。
「やってみないとわかんないじゃない」
「ドキンちゃんの言う通り! パン共にこの手段が有効だと解った暁には、アンパンマンを、アンパンマンを……!!」
「しょくぱんまん様に、しょくぱんまん様を、しょくぱんまん様と……ふふ、ふふふふふ」
この実験結果をしょくぱんまんにどう活用するのかは知らない(考えたくもない)が、いつもの調子でハートマークを飛ばすドキンちゃんは相当まずい。
が、めらめらと燃えるばいきんまんにも不安にさせられっぱなしだ。アンパンマンに一体何をしようと言うのか。こっちも考えたくもない!!
「よ、よし! お前らお腹空いてんだ、だからこんな訳わかんないことしちゃうんだ可哀想に! オレがカレー作ってやるよ!」
このふたりを釣るのにはやはり食べ物だ。なんとか気を逸らせようとカレーパンマンはそう提案したが、
「カレー…」
「カレー……」
「そうそうカレーパンマン特製カレー! 甘口辛口激辛、リクエスト通りになんでも作るぜ!」
「………はっ! い、いやドキンちゃん! 実験を優先するのだ! どうせカレーパンマンはすぐ動けないんだし!」
「そっ、そうね! カレーに惑わされちゃ駄目ね!」
今回ばかりはぎりぎり惹かれなかった。
いよいよ追い詰められ、見せつけるように鼻先で揺らされた試験管に、カレーパンマンはひぃいと喉を引き絞る。
ばいきんまんは、ロングTシャツのように尻を隠していたカレーパンマンの黄色い上着を捲り、その下に隠されたズボンに手をかける。
冷たいガラスの管が、穴にぴたりと当てられた。
「あっちょっ、だめだっ、て………ばかぁあああああ!!!!」
それが入り込んだ瞬間、カレーパンマンは弾かれたように、喉を振り絞って叫ぶ。
「きつきつなのだ。ドキンちゃん、なんか滑りがよくなるもの持ってない?」
「うーん……。あ、あたしの部屋に日焼け止めクリームがあるわ、それなんてどう?」
ドキンちゃんがぽんと手を叩いて提案し、頷いてばいきんまんは立ち上がった。ガラスの管はカレーパンマンに浅く突っ込まれたままで、だ。
「あ…ほ! てめこれ……抜けぇっ…!」
これだけでも耐えられない異物感に、カレーパンマンは唯一自由に動く口ですら、既に呂律が回らなくなってきている。
「こんな、こんなことしてぇ…あん、あんぱんまんがだまっちゃ……っだぁあ!!」
はくはくと言葉と紡いでいたカレーパンマンに突き刺さった試験管を、ただばいきんまんを待っているだけではつまらないドキンちゃんはえいと押し込んでみた。
「あっ、ひゅぁあ――っ!」
みちりと冷たくて固いものが突き入られ、しばらく動かないはずのカレーパンマンの足がびくんと跳ねあがる。
背中が反ったと思えば次の瞬間にはがくっと折れて、頬を押しつぶすように床に顔がついた。
「あ、あほ! ばか、まぬけ! ばかばかばかばかばかばかああああ!!!」
カレーパンマンはやけになって子どものように喚く。籠った声ではあったが、いたずらが見つかった場合でもここまで怒りをぶつけられない分、ドキンちゃんはそれなりに驚かされた。
「ご、ごめんね、そんなに痛かった…?」
眼球の奥からぶわあと押し上げてくる涙で視界が歪んでいく。
「しらない、もうお前らなんて知らねー」
ぐず、とカレーパンマンは涙と一緒になって溢れて来た鼻水を啜る。
ばいきんまんがアンパンマンに勝手に燃やしているライバル意識、それは常に周りの人間を敵味方関係なく巻き込んで傍迷惑に展開されていく。
ドキンちゃんの恋だってそうで、なあんでこの子はごてごてに変装してからストレートを投げるようなことをしているんだろうといつも思う。今回はその傍迷惑の究極だ。
こいつらアンパンマンとしょくぱんまんのことしか見てないくせに、なんでオレを使うんだ、むかつく、むかつく、オレのことなんてちっとも見てないくせに。むかつく。
かと言ってばいきんまんがいきなりカレーパンマンに、今の「アンパンマンの仲間」以上の認識を持って敵対意識を持たれても困るし、ドキンちゃんがある日突然しょくぱんまんに見向きもしなくなって………はもっともっと困る。
すぐに、とことこと足音が聞こえてきた。
「ドキンちゃーん! 持ってきたよー!」
「あー、ありがとー!」
小さな瓶を抱えてばいきんまんが足取り軽く寄ってきた。
「ふええ、まだやんのかよ……」
「これからこれから!」
カレーパンマンの上着を捲り、ばいきんまんはキャップを開けて腰の窪みにクリームを注ぐ。
「ぎゃっ、冷た!」
ばいきんまんは手の平でクリームを混ぜっ返し、自分の体温とカレーパンマンの肌でそれを温める。
手の中で揉み込み、ほんの少し温まったのを確認するとすぐさま穴に塗りつける。
「はああっ、ちょっと、ちょっとぉお……!」
試験管をぐりぐりと上下に動かし、クリームを中に無理やり注いで行く。
思いやりも何もあったもんじゃない。かと言って、手酷く「カレーパンマンを」いじめつくしてやりたいというわけじゃないのだ。とことん報われない。溢れてくる涙は痛みのせいだけじゃない。
歯を食いしばって、せめて情けない声を聞かせないように、実験の効果を自分の反応で知らせないようにと、気丈にもカレーパンマンは身を固くしようとする。
が。
「あっ、…!」
直接体内に流れ込んでくるぬるい液体、それを絡ませながら侵入する管に、カレーパンマンは思わず声をあげてしまう。
「ふんふん。なるほどこうなるのか……ドキンちゃんメモとれる?」
脇に転がっているボードに挟まれた紙とボールペンを手に取り、ドキンちゃんに渡しながらばいきんまんが問う。
「えーっと、なんて書けばいいの?」
受け取ってペンを走らせ、右上に日付を書いてからドキンちゃんは首を傾げた。
「後でおれさまが補完するから、ほんとにメモ程度でいいのだ。『日焼け止めクリームと試験管による被験者の反応』」
「ひけんしゃ……ってどう書くの?」
「やっぱカレーパンマンでいいのだ」
「『カレーパンマンの反応』、っと。はい、報告どーぞ」
「まずはーおれさま達から見ても解るくらい体温は上昇してるでしょ、ほっぺたは真っ赤、だいぶん泣いてるし、鼻水ずるずる。あと――」
「このやろ!! ばい…きんまん、それいじょ…いってみろ、はぁっ、おまえらぜった……うぁあん!?」
ぐに、とばいきんまんが引っ掻き回していた試験官の先が、カレーパンマンのつぼを掠める。
「んん?」
いきなり高くなった声に、ばいきんまんは頭を捻る。
ガラス管をしっかりと摘み、ぐりぐりと押し潰すように動かしてみる。
「はっ!? あ、あぁああああ!!?」
真下から真上へと強制的に持ち上げられ、最上まで来たところで一気に足場が崩れ去って、頭を下にして真っ逆さまに落ちていく――そのような体の変化に、カレーパンマンは目を回す。瞬きする度に、正気が涙と一緒に体外へ流れていってしまうような不安感を覚えた。
先程と比べれば大袈裟ともとれる反応に、ばいきんまんとドキンちゃんは目を丸くした。
「どうなってんの……?」
「なんかこのへんが弱点らしいのだ。ドキンちゃんそれ貸して。おれさまが書く」
ドキンちゃんからレポートボードを取り上げ、床に置き、空いている片手でメモを取りながら、ばいきんまんはもう片手でカレーパンマンを貫く。
「あああっやめろぉ! おか、おかしくなっちゃうぁんっ!」
「どれくらい声高くなってんのかな。ドキンちゃん、サウンドセンサー持って来てー、あ、あとサーモグラフィも」
「はいはーい」
「いや! やだ、やだやだやだやぁああああ、うあっ、はぁああ!」
ぼろぼろと涙を流すカレーパンマンを、ちょこっとだけ可哀想かなと思うふたりであったが、それと実験中止は繋がらなかった。
ドキンちゃんががらくたの中から目当ての機械を探す間、ばいきんまんは引っ切り無しにカレーパンマンの中をつつき回す。
その都度、顔を突き合わせるたびに自分は辛口だと豪語するカレーパンマンが、打って変わって甘ったるい声を上げるのは、ばいきんまんにしてみても単純に気分がいい。
ただ、やっぱりほんのすこーし、引け目を感じないでもないので……
「カレーパンマン、いっこ言うの忘れてたんだけど……」
「ぁあ!? なん…だよ!」
「薬の効き目はとっくに切れてるのだ」
「はぁあああああ!?」
「この薬はまだ試作段階で、まだまだ未完成。だから、お前は逃げようと思ったら逃げられるのだ。さっきからずっと逃げられる状態なの!」
「なっ……! あほ、ぼけなす! しんじまえ!!」
善良な町の人たちやヒーロー達だけでなく、悪役であるばいきんまんからしても考えられないような乱暴な言葉に、彼はぎょっと目を剥く。
せっかく教えてあげたのに! 呆気にとられて手が止まった。それはカレーパンマンにとっては脱走のチャンスだったはずなのだが――。
「あ、だめ、もうやだ! ばいきんまんてめえの――!」
ぐっと手に力を込めて、カレーパンマンが上半身を起こす。すわ反撃か、と身構えてばいきんまんは逃げ出そうとしたが、その足はカレーパンマンに捕らえられた。
足払いをかけられ、ばいきんまんは床に尻もちをつく。
「い、いたた…!」
ぴよぴよと小鳥が三匹、ばいきんまんのつのの周りをぐるぐる回る。
頭を振ってそれを打ち消し、ばいきんまんは気を取り直そうとして、で、
「な…なんなのだ!?」
彼の股間にうずくまったカレーパンマンに驚愕した。
「うっせえちょっと黙ってろ!」
そう吐き捨てて、カレーパンマンはその大きな口でばいきんまんのつるんとした股間にむしゃぶりついた。
さっきの実験でさんざん口内で分泌された唾液が、熱を持った舌にまぶされ、それがねっとりとばいきんまんに襲い掛かる。
「えええええ!? なに、なっ、どどどどドキンちゃああああん!!!」
「ふるへぇ! あっむ…はっ、あぐ、む…」
「どしたのばいきんまん。あーっ!」
がらくたの山に頭を突っ込んでいたドキンちゃんが、その山をがらがらと崩しながら慌ててばいきんまんの元へと駆け寄った。
「ちょ、ちょっと! ばいきんまんに何してんのよ!」
ばいきんまん同様、彼女もカレーパンマンが何をしているのか解らず、混乱しながらもカレーパンマンを退かそうとぽかぽか叩く。
「あ!? お前らほんとに何も知らねえでこんな実験やってたのか!?」
ぎろりと下から睨みつけられ、ドキンちゃんは肩を竦ませて一歩下がる。
いつもの間抜けで騙されやすい、三枚目の彼とは違って、その眼は鋭く磨かれ、触れ方を少しでも誤ったらすっぱりと斬れてしまいそうだ。
ばいきんまんの股間は障害も何もない穏やかな丘の様で、どれだけカレーパンマンがねぶっても、とっかかりが一つも見つからない。
むくむくと次第に頭を擡げて現れるものがどこかに潜んでいるわけでもなさそうだ。本当に、彼らは何も知らないでこんな実験を思いつき、更には実行してしまったのか。着眼点が鋭いなんてレベルじゃねえぞ。
「っんだよ、出るもんもないのかよ使えねえ!!」
もうほとんどチンピラのような剣幕で、カレーパンマンは言い捨てる。
何がなんだか解らない、解らないんだけど、でもいつものパンチよりも強烈な平手を食らったようなショックを受けて、ばいきんまんは一瞬で固まり、同時に真っ白になった。
「いい、帰ってアンパンマンのしゃぶるから」
ずっと彼自身を支配していた試験管をなんの躊躇いもなくあっさりと引き抜き、カレーパンマンはそれを手の中で粉々に砕いた。
ちゃんとゴミ箱の上でその手を広げ、ぱんぱんと手の平同士で打ち払い、ガラスの粉を落とす。
「ちぇっ、中途半端なことしやがって、好きにさせて損したぜ。こんなだからお前らどっちも、いつまでたっても勝てねぇんだよ」
唖然呆然としているばいきんまんとドキンちゃんの前を横切り、打っちゃったままにされていたズボンを履いてベルトを締める。
「今日はしょくぱんまんとこに泊めてもらお。アンパンマンはもう寝てるだろーし」
最後にマントを紐でくくりながら、カレーパンマンは独り言を呟いてラボを後にする。
シュイン――と自動ドアが開いて、廊下の光が薄暗い室内を照らすその中、カレーパンマンは未だ混乱の溶けないふたりに影を作って出ていった。
後に残るのはぽかぁんと目と口を開けたままのばいきんまんとドキンちゃんばかり。
ただ、何時間か後にレポートに書かれる二文字だけは既に決まっていた。「失敗」。