メロンパンナの優しい心に、こてんぱんにやられたばいきんまんのその後のお話です。
バイキン城に帰ったばいきんまんは、さっさと研究室にこもってしまったので、お腹を空かせたドキンちゃんはラボの扉を力任せに蹴っ 飛ばすことに忙しい一日を過ごしました。
いつもはドキンちゃんが不機嫌な声を上げると何をしていても飛んでいくばいきんまんなのですが、べこべこに凹んでいく扉や、その向こうで聞こえるちょっと乱暴な言葉も気にならないほどに研究に熱中しました。
そして、一晩中寝ずに研究を続け、ついに明け方になってある薬を完成させたのです。
ぽこぽこと沸騰するビーカーの液体に、ばいきんまんは肩を震わせました。
「ぐふ、ぐふふ、ぐぬふふふふふ……………だぁーっはっはっはっは! ぐぁーっははははっはっはっは!!
世紀の大天才、ばいきんまん様の究極の芸術品がついに、ついにかんせ「うるさーーーーーーーーい!!!!」
ロックされていた扉をついに蹴り破り、そのまま真横にすっ飛んで、ドキンちゃんはばいきんまんに飛び蹴りを叩きこみました。
「朝っぱらからなによもう! ついでに昨日はよくも無視してくれたわね! あんまり調子くれてるとおやつ抜きなんだからねっ!!」
「そんなあ! ドキンちゃんひどい、いつもおれさまがおやつつくってるのにぃいい!!!」


命からがらUFOに飛び乗ってバイキン城から逃げ出したばいきんまんは、ぜーぜー言いながらも咄嗟に引っ掴んで持ってきたビーカーをスプレー瓶に移し代えます。
それが終わると、ばいきんまんは街に向かってUFOを飛ばしました。
ちょうどタイミング良く公園でカバおくん達が遊んでいたので、ばいきんまんは彼らに襲い掛かります。
「退屈だからお前たちで遊んでやる!」と大声で宣言して、それを皮切りにUFOからハンドを繰り出しました。
慌てて逃げようとして転んでしまったピョン吉くんの背中に、ピンクの大きな手が伸びて……
「ばいきんまん! また悪いことして!」
ピョン吉くんの前に立ちふさがったメロンパンナに押し留められました。
地面に足を食い込ませて踏ん張り、両手を突っぱねて押し返してきます。
「でたなメロンパンナ!」
まんまとおびき寄せられたメロンパンナに、ばいきんまんはにやりと悪い笑みを浮かべます。
彼女さえ来ればもう子どもたちに用はありません。さっさとバイキンハンドを引っ込めました。
「ふわっ」
勢いづいたメロンパンナは空ぶりして、地面に倒れそうになるのを手をついて体を支えました。
その隙に、ばいきんまんはUFOから飛び降り、メロンパンナの前に着地します。
見るからに怪しい、ピンク色をした液体が入っているスプレーの瓶を突きつけ、メロンパンナに向かってしゅっと一吹き―――
「なあにこれ」
素早く立ちあがったメロンパンナに、ひょい、と取り上げられました。
「えい」
ぷしゅー
「ぐぉおおおおお……!」
それだけでなく、メロンパンナちゃんってば、よりにもよってばいきんまんのらんらん目玉にそのスプレーを吹きかけてしまいました。
目に沁みるどころじゃありません。あんまり痛いので、ばいきんまんは目を抑えてごろごろと転がります。
「みんな、今の内に逃げて」
振り返り、ピョン吉くんがカバおくんを助け起こすのを確認して、メロンパンナはみんなを逃がそうとします。
「だいじょうぶ、アンパンマンがいなくったって平気よ」
「ほ、本当に?」
「ほんとう。大丈夫、あたしひとりでやっつけちゃう」
ごめんね、と何度も謝りながら公園から避難するみんなを見送って、メロンパンナは地面に転がっているばいきんまんに向き直ります。
「お、お前はひょっとしたらアンパンマンよりも厄介なのかもしれないのだ……」
大きな目から涙をぼろぼろ流して、ばいきんまんは呻きました。
こうなってしまっては今日のいたずらは中止にするしかありません。ふらふらした足取りでUFOに登ろうとするばいきんまんでしたが、
「はーなーせー!」
「やだ。それじゃちゃんと運転できないでしょ、誰かとぶつかったら大変」
メロンパンナにしっぽを思いきりふん捕まえられて進めなくなっていました。
振りほどこうと、ばいきんまんは大きな動作で振り返り、メロンパンナの手を弾いて、ついでにもう片手にあるスプレー瓶を取り返そう とします。ですが、
ぶしゅうぅうー
「わぎゃぁあああああ!!!」
ばいきんまんがメロンパンナの手の中から瓶を取り返したその拍子に、ポンプを押してしまって、再び顔面にスプレーがかかってしまい ました。今度は自分の手で、自分に、です。
「ばいきんまんって、頭いいのか悪いのかわかんないや…」
ごろごろごろごろ……と目玉を押さえて転がっていくばいきんまんをメロンパンナはぽかんと見送ります。メロンパンナは彼が取り落と した瓶の蓋を開け、公園に取り付けられた蛇口の排水溝にそれを流しました。これで一安心です。
「ねえ、あのスプレー、浴びちゃったらどうなるの?」
その辺を一周して、ごろごろごろごろと転がって帰って来るばいきんまんをサッカーボールを止める要領で足で軽く踏み、メロンパンナは問い質します。
「お前の…メロメロパンチの成分を研究して、それとほとんど同じ効果を得られる薬で…」
涙と汗をだらだら零しながら、ばいきんまんは食いしばった歯の隙間から答えました。
「愛の花を手に入れたってこと?」
「……」
そっぽを向くばいきんまん。こういうときに答えないのって、それって「そうなのだ」と言っているようなものなのです。
(今度バイキン城に取りにいこう)
メロンパンナは自分の生地に練り込まれている愛の花を思い浮かべました。
ゆうらら、ゆうらら、切り立った崖の上に愛の花は咲いていて、まだ命を吹き込まれていない、眠っている妹のためにアンパンマンがそれを命懸けで取って来たのです。
ばいきんまんなんかが触っちゃいけない、――と、優しいメロンパンナに思わせるくらいに――大切な花なのです。
(花瓶に飾られてドキンちゃんにお部屋で可愛がられているんならいいけど、どうせ冷たいガラスケースに仕舞われてるに決まってるんだから)
ロールパンナから吸い出したまごころ草の花粉を、ハートの形をした可愛らしい、けれども無機質なガラスに閉じ込めていたばいきんまんです、手に入れた愛の花を一回で使い切るほど彼はおばかさんではありませんから、まだバイキン城にそれはあるのでしょう。
「…ぐくぅ、う………い、ぎ…」
アンパンマンにとっての勇気の花。ロールパンナにとってのまごころ草。ばいきんまんの根城に捕らわれている愛の花のことを考えていると、いつの間にか留めるためだけに足で“押さえていた”ばいきんまんを、メロンパンナはそれなりの力で“踏みつけて”いました。
慌てて…と表現するにはゆっくりと、メロンパンナは足にかけていた体重を退けます。
ほとんどメロンパンナの重みを感じなくなっても、ばいきんまんは変わらず苦しそうに身を捩ります。
「でも、あたしのパンチはあなたを苦しめないわ」
体重だけでなく足ごと退けてあげて、メロンパンナは倒れたままのばいきんまんに近づくためにしゃがみました。
そう、メロメロパンチは相手を傷つけるようなパンチではありません。メロメロパンチと同じ効果と言いながら、全身にうっすらと汗を滲ませるばいきんまんは、メロメロ状態とはかけ離れた、なんだかおかしな病気にかかったようなのです。
「なのにばいきんまん、すっごくしんどそう」
どこか痛いのでしょうか。なでなでしてあげようとメロンパンナは手を伸ばします。でも、ばいきんまんはぶるんとつのと頭を震わせていらないのポーズを取って、ずるずるとUFOまで這っていこうとします。
どうしてだか力が入らず、ですが体中がしくしく痛んで、まともに立ち上がれないのです。おまけに、胸を地面に擦りつけているからか、それともやっぱり病気になってしまったのか、息が上手にできません。
悔しい。メロンパンナをこてんぱんにしてやるつもりだったのに、地面に這いつくばって逃げないといけないだなんて。
パンチで吹っ飛ばされる方がずっと、ずうーっと楽ちんです。
「なめくじみたい」
そう呟くメロンパンナに悪意はきっと、ないのでしょう。彼女はただ思ったことを口にしただけで、ばいきんまんも同じことを思っていたことろです。ですから余計にばいきんまんを惨めな気分にさせていきました。
「無理しないで。落ち着くまでじっとしていた方がいいわ、パン工場に連れてってあげる」
「ぜったい、ぜえーったいに嫌なのだ。そんなの、死んだ方がましなのだ……」
ばいきんまんが決死の思いで這って進んだ僅かな距離は、たったの一瞬で、メロンパンナのちいちゃな足によってとことこと縮められます。
ばいきんまんの足を引っ掴み、ごろんと仰向けに転がします。
「ばか、こら、やめろ!!」
「よいしょっと」
ばいきんまんの抵抗空しく、もともとろくに抵抗なんてできていませんでしたが、メロンパンナは彼を抱き上げました。
アンパンマンを始めとしたヒーロー達が人を運ぶ時に良くやる、あの抱き方です。
「しっかり掴まっててね」
まるでどこかの誰かのようにとっても紳士に笑って、メロンパンナは地面を蹴ってふんわり飛び上がります。
「く、く、くつじょくなのだ……!!」
つのをぶるぶるさせて、怒りを溜めこむように体を小さくしたばいきんまんは小さく叫びました。


「アンパンマンに会いたくないでしょ?」
パン工場の二階、メロンパンナの部屋の窓を外から開けて、メロンパンナはばいきんまんをベッドにそうっと下ろします。
アンパンマン達はばいきんまんが悪さをしない限りは敵味方にあんまり頓着しません。ですから今のばいきんまんを「悪さをしないばいきんまん」と認識している今のメロンパンナなら、てっきりパン工場の正面から入っていくものだと思って、体は言うことを聞かないけれど、アンパンマンに飛びかかる意気込みだけはめらめらと燃やしていたばいきんまんは、安心したような、肩透かしを食らったような 気分になりました。
お日さまの香りをたくさん吸い込んで、ふくふくしたお布団に寝かされ、ばいきんまんはなんだか嫌な気分になりました。
ばいきんはじめじめじとじとが好きなのです。それに、お日さまの香りよりももっとひどいことに、このお布団はほんわりとですが、確かに甘ぁいメロンの香りまでするのです。
「どうしたの、メロンパンナちゃん。帰って来たの?」
部屋の外、一階からメロンパンナに声が掛けられます。大声ではなく、優しい音量なのに、その声は扉の向こうからでもちゃんと聞こえました。
「ごめんなさい、ちょっと窓から入ってみたかったの! アンパンマンのまね〜」
扉を開けて、メロンパンナは顔を廊下に出して答えます。アンパンマンが煙突から出ていって、煙突から入って来ることを言っているの です。
ふふふ、とアンパンマンが妹分の無邪気さに笑うのが、メロンパンナの体の分だけ開かれた扉から微かに聞こえてきました。
ばいきんまんはしかめっ面をつくります。
すこぶる気に入らない。アンパンマンを気に入るなんてことは一生、たとえ世界が終ろうとも訪れないことなので当然なのですが、こう して敵を自室に連れてきているのに、いつもと変わらずにアンパンマンと接するメロンパンナは、この時だけアンパンマンより気に入り ませんでした。
「起きられそう?」
ドアを閉めて、メロンパンナはベッドに近寄ります。
入らない力を入れてばいきんまんは起き上がろうとしますが、手先や爪先からするすると砂が流れ出るようにそれは空ぶりました。
懸命にばいきんまんが起きようとしているのを見て、メロンパンナは彼とベッドの間に手を差し込んで助けます。
ぐったりしながらも、メロンパンナに支えられながらも上半身を起こしたばいきんまんは、細く長く息を吐きます。
果実が傷んでいくようにじくじくと苦痛を感じる体が、先ほどから、具体的に言えばメロンパンナのベッドに寝転んでから、徐々にに熱く熱くなっていっているのです。痛みはなくなったわけではありませんから、これでは二重苦です。
「ばいきんまん?」
つのをくすぐる甘い息と声が、ばいきんまんの賢い脳みそに染みこんでいきます。
アンパンマンを倒すこととアンパンマンを倒すために強くなることとアンパンマンを倒すために作るメカのこととアンパンマンを倒すためにつくる薬のこととドキンちゃんのことばっかりだったばいきんまんの頭に、メロンジュースがじゅぐりと注がれていって、ばいきんまんは目を回してしまいます。
この短い間であんまり大変な目にあったので、ばいきんまんはついに耐えきれず、ぽすんと真横に、つまりメロンパンナの胸に倒れ込みました。
「どうしたの?」
驚いたけれど落ち着いたまま、メロンパンナはばいきんまんを両腕で囲みます。
「おれさまなんだか……」
「なんだか…?」
「なんだか……」
「うん、なんだか」
「………」
「………」
「…………なんでもない」  
「なにそれ!」
うつむいてしまったばいきんまんに、メロンパンナは瞳をぱちくり。
「なぁに、もう」
丁寧な手つきでばいきんまんを再び寝転ばせ、メロンパンナはばいきんまんの体をなでなでします。
「うわばばばばか! さわるなばか!!」
「でも、痛いの痛いのとんでけ〜ってしないとけがは治らないよ」
したって消毒しないと怪我は治りません。きっと今よりもっと小さな頃、外で遊んでこけてしまって泣きじゃくっているメロンパンナに、アンパンマンがそうして泣き止ませ、パン工場に連れて帰って手当てしてやったのでしょう。
さすりさすりと、肩からお腹、お腹から……緑のグローブに包まれたメロンパンナの手が順繰りにばいきんまんの体を撫でていって、それは痛みを和らげるどころか、いえ、確かに痛みはもう引いているのですが、内に抱える熱だけを膨らませていきます。
でも、ばいきんまんはメロンパンナの手を叩けません。止めてって、言えないのです。
メロンパンナの丸い手が、ばいきんまんのお腹の下、菌細胞で言うところの核に触れようと、今、まさにそこを掠めようと、
「メロンパンナちゃーん、ごはんできたよー」
「あ、はぁーい!」
アァぁああンパンマンんんんんんんんんんんん!!!!!
思わず前につんのめって、顔を布団に突っ込むばいきんまん。
ぱっとばいきんまんから手を離して、メロンパンナは返事して、また彼の体に手を伸ばします。
ただし今度は、お腹や背中ではなくて、脇に放られたばいきんまんの手。
手を握られて驚き、飛び起きれば、もう片方の手もメロンパンナに取られてしまいました。
両手を両手でぎゅうっとされて、ばいきんまんは咄嗟には彼女を撥ね退けられませんでした。一生の不覚を宿命でもない彼女相手に、今日は何回やってしまうのでしょう。
「ばいきんまんもおいでよ、一緒に食べよう」
「ごめんだね」
やっと手を弾き飛ばし、ばいきんまんはベッドから下ります。
ばいきんまんのことを考えて、アンパンマンに会わせないように連れて来たと思えば、今はもう心優しいヒーローの思考で、ばいきんまんがアンパンマンと一緒に食卓を囲めるだなんて思っている。ちょっと、ちょっとだけ、なんだか残念です。
「今日はこれで勘弁してやるのだ」
サイドテーブルに置きっぱなしにされていた、メロンパンナがばいきんまんと一緒にここまで持ってきたリモコンを掴みとります。
それを操作して、ばいきんまんはUFOを窓の外に呼び寄せました。
「メロンパンナちゃーん。冷めちゃうよー」
とんとんとん、階段を上っていくリズムのいい音が響きます。
「わっわっ、ばいきんまん早く早く!」
「言われな――ほんぎゃっ!!」
慌てたメロンパンナは、ばいきんまんの首根っこを引っ掴み、開いたばかりの窓からその体を放り投げました。
パン工場の壁面にぴったりとくっつくほど近くにまで来ていたので、UFOの操縦席目がけて投げるのは、もともと怪力のヒーローである彼女にとってはわけない運動だったのですが、ばいきんまんにとっては「物扱い」されたみたいだったので、ちょっとだけ傷つきました。
「? 誰かとお話してた?」
「うん、ちょっと小鳥さんと。行こ、アンパンマン。今日の晩ご飯なぁに?」
「かぼちゃスープとたまごサラダだよ。デザートにみかんゼリーがあるんだ」
「わぁーい! 好きなのばっかり!」
咄嗟に操縦レバーに足をかけ、一気に高度を下げたので、ばいきんまんの姿が部屋に入って来たアンパンマンに見られることはありませんでした。
楽しそうに笑い合って、階段を下りる音がふたり分聞こえます。
む、むかつくぅうう!!
無性に乱暴な気分になって、ばいきんまんはパン工場を蹴っ飛ばして、UFOを起動させられる分だけ壁面から離します。
さて、さっきまでばいきんまんにアンパンマンと食事するのを提案したメロンパンナでしたが、いざアンパンマンが来ると一転、あんなに慌てた様子になったのは、湯気を噴き出すほどに頭にきている今のばいきんまんにはちょっと考察できないことです。というより、メロンパンナのその態度の変化に気付いてすらいなさそうですが。
いつもより荒々しい運転で、バイキンUFOはお空に向かって高く高く飛んでいきました。


次の日。
ばいきんまんのトレーニングルームに、アンパンマンの姿が絵ががれたサンドバッグの横に、同じようにメロンパンナのサンドバッグが取りつけられました。
ボクシンググローブをはめてアンパンマンをぼっこぼこにするのが日課なのですが、せっかく新しくつくったメロンパンナの方には、どうしてだか一週間たってもパンチ跡ひとつ着いていませんでした。
たまあにドキンちゃんが、サンドバッグの役割りを果さないサンドバッグを哀れんで、でこぴんをしてやるだけです。