劇の役割りを決めた後、教室ではすぐさまミミ先生が童話を脚本に書き起こす作業に取りかかっていた。
その周りには、床に直接座って、衣裳係の女の子たちが家庭科室から持ち出した裁縫箱の中身を広げている。
「あら」
ふとミミ先生はペンを止め、声を漏らす。
「まあ眠り姫だもの、当然ね」
「どうしたんですか? ミミ先生」
しょくぱんまんが尋ねると、先生は顔を上げて本のある一行をなぞった。
「このお話、お姫様は王子様のキスで目覚めるのよ」
「ああ、眠り姫ですもんね」
「どうしようかしら」
顎に手をやって考えるミミ先生に、しょくぱんまんは思わずぽかんとしてしまう。
「どうしようって」
考えるまでもなく、削るべきだろう。
「うーん、もちろん本当にはしなくていいんだけど、代わりに…そうね、手の甲にキスするとか」
「わたしは構いませんけれど、メロンパンナちゃんが」
ふたりでメロンパンナをちらりと見ると、たまたま聞いていた彼女はぴょんとこちらに飛んできて、
「あたしもいいよ」
と明るく、要は特に深く考えていない表情で言った。しょくぱんまんが構わないと言ったから自分もそう言っておけば間違いはないだろう、というような、そんな軽いニュアンスだった。
「じゃあ代案を考えないとね。とりあえずいくつかやってみましょうか」
その言葉のすぐ後に、ミミ先生は一つ手を打った。
脚本は役者だけにでなく裏方にも配るので、印刷をする前にできるだけ正確なものを書いておきたい。
童話と変わるのは姫が目覚めるそのシーンのみ。というわけで、調整のための即興劇の始まりである。


TAKE1:寸止め

「メロン姫」
「………」
体育館の舞台に並べられた3つの椅子の上に身を下ろして、メロンパンナは瞳を伏せる。
すうすうと寝息を立てる演技を続ける彼女に、しょくぱんまんが歩み寄る。
肩膝をつき、そうっと顔を近づけ―――――ぎりぎりの、ぎり、まで彼らが顔を寄せたその時、
一筋の稲妻が走り、何もかもを引きちぎる音を立てて木造の床を叩き割った。
「いよっ! 待ってましたぁ!」
カレーパンマンが両手をメガホン代わりにして歓声を送る。
「いっちょやっちゃってくださいロールパンナちゃん!」
「ロォォォール………」
舞台の天井、何本も交差されたパイプのひとつに、姫君の姉上が立っていた。
「リボーーーーーーーーーーーーーーン!!!!!」
「おねえちゃぁーん! やめてやめて、それ以上やったらしょくぱんまんが8枚切りになっちゃうー!」


TAKE2:ほっぺたに

「今は目覚めぬ眠り姫。あなたはどうしたらわたしに、そのまぶたに隠れた美しい瞳を見せて下さいますか」
「……」
すっと身を寄せ、しょくぱんまんはメロンパンナの頬に己を寄せようとする。
しかしその直前で、彼は目だけを動かして、横目で舞台の端に目線をくれた。
「……この様子じゃ、ほっぺたも駄目ですね」
しょくぱんまんは立ち上がり、これ見よがしに肩をすくめる。
その目が捉えたのは、ずうっと大人しく眠っているお姫様ではなく、口をぱくぱくさせて今にも何か言いだしそうで、しかし言いだせないでいたアンパンマンだった。


TAKE3:おでこに

「ああメロン姫、なんてかわいそうなんでしょう。あなたを救うためならわたしはなんだってできてしま「わああ! しょくぱんまん危なーい!」
しょくぱんまんの台詞を掻き消し、クリームパンダがその手の平のような頭で、しょくぱんまんのすぐ後ろの空を掴む。
ぎょっとして動きが止まり、しょくぱんまんは慌ててクリームパンダを振り返った。
「みてみてこれ! 蜂だよ、危なかったねー!」
グローブのような顔を開き、クリームパンダは捕まえた虫を摘む。
「ああ……ありがとう、クリームパンダちゃん」
「クリームパンダちゃん、それ蚊よ」
「え? あ、ほんとだ」
つまり、芝居を中断させてまで捕まえなくても、放っておいても大した事には(しょくぱんまんは)ならなかったのだ。
「クリームパンダちゃんナイス!」
「へへ、ぼくえらいでしょ」
舞台袖に引っ込んだクリームパンダに、誰かがそう声をかけるのが聞こえた。
次いでにハイタッチの小気味良い音も。


TAKE4:まぶたに

何百年と閉じたままの姫のまぶたに王子がキスして、それでそれがうっとり開けばロマンチックよね。
というクラスメイトの女の子が言ったので、すかさず実践する。
あと数センチで触れるというその時、
「だめぇーーーーーっ!!!」
わん! と上空から鼓膜にどきつい大声が降って来る。
「しょくぱんまん様の…裏切り者ぉーー!!」
猛スピードで、しかし恐らくは手が震えているせいでふらふらと蛇行しながら遠くの空へと消えていく真っ赤なUFO。
それを見上げて、呆然としたしょくぱんまんはぱちくりと瞬いた。


TAKE4:手の平に

「ああ、美しいメロン姫。どうか目を覚ましてください……」
メロンパンナのくたりとした手を取り、しょくぱんまんはそこに唇を押し当てようと――――
「どいたどいたーっ!」
「うわあっ!」
大道具のいばらの蔓を担いだカレーパンマンが、しょくぱんまんの後頭部をそれで撥ね退ける。
「何するんですか!」
「通行の邪魔!」
「舞台を横切る裏方がありますか!」
ぎゃんぎゃんと喧嘩を始めるふたりの騒ぎをぼんやり聞きながら、メロンパンナは目をつぶったまま呟く。
「あたしいつまで寝てればいいのかなぁ」


TAKE5:???

あれから他にも何パターンか試してみたが、演技がどうのこうのの話まではついぞ到達できずに、終いにはキスシーンはなしになった。
メロン姫はしょくぱん王子に声をかけられ、それで長い眠りから目を覚ます。そのように書き換えた脚本も完成し、明日からは本格的な練習が始まる。
「ぐっすりお眠り、メロンパンナちゃん」
パン工場の2階、メロンパンナの部屋に彼女を運んできたしょくぱんまんは、その小さな体を丁寧にベッドに寝かせた。
長い時間、固い椅子の上でじっと同じ体勢を取り続けた彼女は疲れ切って、パン工場に帰って夕飯を食べ終わるとテーブルに突っ伏して眠ってしまったのだ。
すやすやと寝息を立てる小さな唇に、ふくふくとした温かそうなほっぺた、緑色の大きな瞳を覆うまぶた、イニシャルが刻まれた額。
結局、それのどこにも王子様は触れなかった。唯一触れ合ったのはこの手だけ。しょくぱんまんはゆうるりと、慎重にメロンパンナの手を取る。
高く持ち上げ、彼女の手の甲を自分の柔らかい頬に一度だけ、そっと当てた。
人形を扱うようにその手をメロンパンナの体の脇に下ろし、しょくぱんまんは安らかな寝顔を浮かべる彼女に微笑んでから扉に向かう。
「……お…」
メロンパンナの微かに漏れた声に、しょくぱんまんは足を止め、ベッドを振り返った。
おうじさま?
「おねえちゃん……」
「ですよね…!」
お姫様の寝言に、王子様は思わずぷっと吹き出した。 王子は姫に笑ったのではなく、あまりに読み易い、これ以上ないというくらい簡単な展開を読めなかった自分がおかしかった。
窓から差し込む月光は、メロンパンナの薄いクリーム色の肌をますます白く照らしている。
しかし扉に向かうしょくぱんまんの真っ白なマントは、彼女の頬とは反対に青白く照らされていた。