「きゃああ!」
可愛らしい叫び声に振り返れば、次の瞬間には甘い香りを携えるメロンパンナが懐に飛び込んできた。
衝撃に備えて僅かばかり身を引き、受け止めてやると、彼女は青年のシャツを握りしめ、硬い胸に顔を押し付けてかたかた震えながら、指だけで後方を指した。
「なに」
「あ、あの赤い箱、勝手に触ろうとしちゃったから、お、怒ってる…!」
散らかった机には教科書と雑誌が積まれ、更にその上には振動している携帯があった。小刻みに揺れる山にもたれかかっていたプリントが数枚、床に落ちる。
青年はすっとメロンパンナの手にその大きな手を重ね、しがみ付く緑のグローブを剥がした。
丁寧でない手つきでその端末を取り上げ、親指を携帯の合わせ目に滑らせて、跳ね上げる。
たった今受信したメールに目を通し、かこかこと返信を打つ。
「……? ?」
送信後、ぱきんと鳴らしてジョイント部で折り畳まれる。机には戻されず、赤い携帯は手中に収まったままにされた。
纏う擬態語をおろおろからきょとんに衣替えしたメロンパンナが、何か聞きたそうに青年を見上げるが、メロン色のくりくりした瞳に射抜かれたって、彼は特に喋らない。
別に意地悪をしているわけでなく、口下手でぶっきらぼうなのに合わせ、どう接したらいいのか未だ掴めていないのだ。
「……ね」
視線を合わせたまま、控えめに声をかけてくるメロンパンナに、青年は無言のまま、瞬くことで聞いていると伝えた。
「あの赤い子、もう怒ってないの…?」
首を僅かに引いて、青年は肯定する。
「というか、始めから怒ってない」
いつものように、テンションも声色も低く答えると、そうなんだ、とメロンパンナは呟く。
「それってなあに?」
そろそろと手を伸ばし、しかし触れそうになるまで近づくと彼女は手を引っ込めてしまう。
「離れた人と喋ったり、手紙を送ったりする機械」
「離れた人と?」
こくり。
「そっか、お話しできる機械……」
携帯に注いでいた視線をぱっと持ち上げ、メロンパンナは青年を見つめて口の中でそう反芻した。
そしてまた目線を下げ、今度こそ小さな手でつるりとした末端に触れた。
「ここにはこんなに優しい機械があるのね」
ふうわ。とメロンの甘い香りが鼻先を掠めていった。
僅かにまぶたを伏せて携帯をなぞるメロンパンナは、いつもの一挙一動全てが見ている者に幸福を与えるような小動物的愛くるしさが潜んでいる。
どことなく不安にさせられる空気に、青年は思わず声をかけた。
「………その言い方、きみのいたところには優しい機械がないみたいだ」
彼女はすぐには答えず、慎重に、考えてから喋り始めた。
「ううーん、あたしがいたところは……あたしをつくってくれたひとが作った乗り物とか、仲間のみんなの乗り物は優しかったんだけど、ひとつだけ、そんなに優しくなかったかな」
無言のまま、先を促す。
「ええと、大きな手が出てきて、町のみんなを捕まえようとしたり、水鉄砲の形をしていて、でもビームを打ってきたり……」
この小さな女の子が暮らしていた世界に、そんな物騒なものがあったとは、普段の彼女の振る舞いを見ているだけでは俄かには信じられない。しかし、この子が嘘をつくような子ではないということも、普段の彼女を見ていれば自然と解ってしまうことだった。
「あ、その機械には足もあるんだよ。で、それで踏みつぶされそうになったりもするんだけど」
ますます不穏になっていく内容だが、それでも青年は黙って聞いている。
「でも、最後にはわたしたちのヒーローがそいつをやっつけちゃうの!」
そう喋るうちに、徐々に明るくなっていって、軽くパンチの仕草で締めくくったメロンパンナに、青年は僅かに安堵の表情を見せた。
といっても、まだ付き合いの浅いメロンパンナには、感情に乏しい彼のその微細な変化は見てとれなかったが……。
「夕飯にしよう、メロンパンナ」
携帯をポケットに捻じ込み、青年は部屋を出る。扉は続く彼女のために開け放したままだ。
「うん! ………えっ!?」
返事をしてから、メロンパンナは驚いて声を発した。
しかしすたすたと行ってしまう彼。その背中を慌てて追いながら、彼女は先程の青年の唇の動きを頭の中で、繰り返し繰り返し思い出す。
「は、初めて名前呼んでくれた……!」