「わああ、聞いてよカレーぱんまぁああん……」
「おかえ……うわわ!」
玄関扉を開けて、ワンルームに入ってくるなり、黒髪の乙女はキッチンに立つカレーパンマンをぎゅうと抱き締めた。
ぼろぼろと涙を零し、とにかく力強く、まるで離せば己自身を見失ってしまうかのように、腕の中の居候を締め上げる。
「むぐぐ…」
豊満な胸に顔面を抑えつけられて、呼吸すらままならなくなってしまったカレーパンマンは、離してくれとサイン代わりに呻く。焼きたてのパンの柔らかさとはまた違った、「なにんだかやわらかいふにふにしたもの」はとっても魅力的だと思うけれど、でも息できないと死ぬ。
「ぷは! 聞いてほしいんだったら、まずはな……むぎゃあ!」
「うああああん、わあああん……!」
じたばた手を動かして、乙女の脇に手をついてなんとか顔を上げたカレーパンマンだったが、声を上げて泣く彼女によって、すぐさま逆戻りの運命を辿る。
「お、おお、落ち着けってば!」
身につけていたエプロンと、背中に羽織っていたマントがもみくちゃになり、カレーパンマンは握りっぱなしにしていたお玉を振り上げる。息苦しい目に遭いながらも、誤って彼女にぶつけてしまわないように、目の前でぶんぶん振ってみせると、乙女はぱちくりと瞬いて、
「あ、ごめん…」
ようやく腕の力を緩めた。
「晩ご飯つくってくれてたのね、ありがとう」
メトロノームのようにゆらゆらと、未だ振られているお玉に合わせて左右に揺れて、彼女はカレーパンマンを抱っこしたまま鍋の前に進み出る。
「カレー」
「うん」
「これ、昨日あまったやつ?」
「ちっちっち。昨日のカレーはもう一晩寝かせてるとこ。そっちの方が味が染みて断然おいしくなるからな。だから、明日のカレーを待ちわびながら、今日はこのカレー食べようぜ!」
「う、うぅ、うぅぅううううう……!」
「あーもー、ったくぅ、そうやってすーぐ泣くんだから!」
しょうがないやつ! と言わんばかりに兄貴風を吹かせて、カレーパンマンは乙女の腕の中でにっかりと笑ってみせる。
この時ばかりは乙女の涙は、彼が夕飯当番を自主的に始めてから続く、二週間にも及ぶカレー天国のせいなのだが。


「それで、どうしたんだよ」
カレーライスの皿の横に、カレースープの皿を並べ、カレーパンマンは乙女にスプーンを差し出す。
受け取った彼女はそのスプーンをきつく、指先が真っ白になるほど握りしめた。
「お、お客さんが、おきゃくさん、が、おきゃ、おきょ、おきゃ、お………」
ぶるぶる震える手を伸ばし、水がたっぷり注がれたコップを掴む。一口飲み、既に熱を持ち始めた喉を冷やし、今度はそのコップを割れる一歩手前まで握り締める。
「お客さんが、私の、おしり、おしりを、おし……」
「わああああああああん!!!」
弾かれたようにテーブルにコップを叩きつけ、向かい側のカレーパンマンを勢いよく引き寄せた。
「んんんんんー!! だからこれ……しぬってぇええ!」
熱々できたてのカレーがすっかり冷え切るまで、乙女は腕の中の拠り所を手放さず、また一瞬でも泣き止むことはなかった。