青いモニターに白線で描かれるブルー・ティアーズ号。ドットで描かれたそのUFOは、同じくドット製のバイキン城へと近づいてゆく。
ブレーキで減速もさせずにバイキン城のべろから城内に突っ込み、キャノピーが開くのすら待っていられないのか、コキンちゃんはその小さな体を操縦席から外へと押し出す。
着地した瞬間、背後でUFOが壁にぶつかって、壁諸共大破する。
「だいじょうぶだいじょうぶ、いつものこと! ばいきんまんに直してもらえばいいんだもーん」
一瞬どきりとしたが、コキンちゃんはすぐさま長い長い廊下を渡り、一つの自動扉の前で足踏みする。
「おじいちゃーん!」
ばいきんまんのラボに飛び込み、ふわりふわりと浮く雲に胡坐をかいて、モニターで彼女のUFOを追っていたばいきんせんにんの元へ彼女は駆け寄る。
「おやおやコキンちゃん」
振り返り、青い小さな女の子がとてとてやってくるのを見て、せんにんは微笑んで雲の高度を下げた。
「おじいちゃん、コキンちゃんとの約束覚えててくれたんだね!」
床すれすれに下りてきた薄い色のついた雲に飛び乗り、コキンちゃんはせんにんに飛びついた。
「もちろんじゃとも。コキンちゃんも、わしとの約束覚えててくれたんじゃのう」
「当たり前だよ! ねえおじいちゃん、早くお話の続き聞かせて」
「おおお、そうじゃな。しかし、はてさて……どこまで話したっけなあ」
「えっとね〜、おじいちゃんが大きな鯉に飲み込まれて、池の底の洞窟に着いたところまで!」
「ああ、そうじゃったな。じゃあ今日はその洞窟でわしを待ちうけていた怪物を、このばいきんせんにんが如何様にして懲らしめたか聞いてもらおうかの」
「うん!」
血の繋がりはなくても、おじいちゃんと孫の図をあっという間に作り上げていくふたりに、この研究室の主は離れたところから声を張る。
「コキンちゃーん! せんにんの話はうそばっかりなのだ。真に受けてたらろくな大人にならないぞぉ!」
お気に入りのロフトスペースに試験管を並べ、ビーカーにカラフルな液体を注ぎ、かき混ぜながらばいきんまんは柵から彼らを見下ろす。
「何を言うか。そういうのはちゃんと『ろくな大人』に成長した者だけが言える台詞じゃ」
ぷかりと雲を浮かばせ、胡坐を組んだ足にコキンちゃんを乗せて、せんにんはばいきんまんを肩越しに見上げる。
「なにをぅ! それじゃまるで、おれさまがろくな大人じゃないみたいじゃないかぁあ!」
「はーん、何か間違ったことを言ったかのう?」
「ぐぬぬぬぬぬ……!!」
「んもう、おじいちゃん、ばいきんまんはほっといて、おーはーなーし!」
おじいちゃんの胸に背中をもたれさせ、コキンちゃんはぷんぷん両手を頭上で振った。

実験に没頭していたばいきんまんが何十分か振りに、周り、正確には同じ部屋にいる別のにんげんに注意を向けるきっかけを与えたのは、せんにんの先程とは随分と毛色の変わった声だった。
それまでBGMにしていた、朗々と語られる「ばいきんせんにん冒険活劇」と、相の手のように上げられる可愛らしい歓声や悲鳴。
それが静かに流れる小川のように緩やかに、澄んだものにかわり、相の手はすっかりと息を潜めていた。
「前から気に入らん奴だったんじゃ」
長生きなばいきんせんにんにとっては会うにんげんの大抵は年下で、相手がどんな態度を取っても軽くいなして、楽しそうにおちょくってしまう。そんな彼に気に入らないと、それも幼い子を話し相手にしている今でも、大人げなく言わしめるような者とは一体。
ばいきんまんは手を止め、椅子から立ち上がって、ロフトに取り付けられた柵に肘を預ける。
「しかしそこで完璧にわしとそいつは仲違い………違うな、最初から、わしだけが疎ましく思っていただけで、やつはそんなわしすらも他の者達にするように、等しく親愛の情を注ごうとしていた」
心弾む物語が終わり、入れ替わりに幕を開けた舞台に、小さな聞き手は語り手の膝に手を置き、そこに顎を乗せて、彼を見上げると同時に熱心に見詰めながら、その話に聞き入ろうとしていた。
「しかしわしは余りに若かった。いいや、年齢のことじゃなくての。同時にそうさな、そいつとわしは何もかもが正反対で、それもわしにしてみれば奴を嫌う大きな要因だった」
青いおだんごに結んだリボンを揺らし、彼女は聞いている合図として、こくんと頷く。
「わしは奴を本気で疎ましく思っておった」
「どいつなのだ」
斜め上の背後からかけられた声に、せんにんは首だけで振り返ってにやんとほくそ笑む。
「気になるか?」
ばいきんまんはぷいとそっぽを向いた。
「ふんだ」
背中を向け、再びデスクに戻ろうとするばいきんまんに、せんにんは豪快に声を上げて笑う。
「聞き流せ若人。ただのおいぼれの与太話じゃ」
「良く言うよ。誰がおいぼれなのだ、だぁれが」
せんにんの過去に興味があるのではない、あってたまるか。ばいきんまんは彼のその不思議な術と力、膨大な知恵の在りかを知りたいだけだ。
続きを話すのを僅かに迷っていることの表れか、それとも常日頃からの癖なのか、ばいきんせんにんはその豊かな顎髭を撫でる。
「お嬢ちゃんに聞かせるには面白みに欠ける、年寄りのつまらん昔話かな」
「ううん。おもしろいよ」
おもしろい、とは冒険活劇の際にも発せられていた言葉だったが、半月型の大きな緑の瞳は、しかし先程までの明るい煌めきをその奥に隠していた。代わりに現れてせんにんの姿を映すのは、静かな親しみを宿した光。
それを受け止め、せんにんは再び話し始める。
「頭の中はそいつのことでいっぱい、寝ても覚めても食事中も修業中も大好きな風呂に入っている時でさえ、如何にして奴をこてんぱんにするのか、常に捏ねくり回しているような若造じゃった」
「だが、のぅ、そいつは仙人のわしとは違って、いや、仙人になったわしとは違って、所詮はただの生き物だったのじゃ」
「その時、わしは何十年越しにしてやっと気が付いた。人が良く出来たあいつを、どうしてあんなにまで嫌っておったのか、どうしてあんなにむきになっておったのか――」

「紛うことなく、親愛じゃった」
「しんあい」
「そう。愛だった」
「あい」

己の口の中で反芻し、舌に乗せて、音にしてその形をなぞるように、コキンちゃんは呟く。
小さな小さな女の子に向けて、せんにんはゆっくりと頷いた。

「気付くのが遅すぎたなどとは思っておらん、その時も今になっても」
「浮世離れしたのが仙人ならば、わしは良い意味でも悪い意味でも仙人らしく、親しい友との避けられぬ別れも、落ち着いた驚きと悲しみをもって受け入れていた」
「でもたったひとりだけ、わしを取り乱させたやつがおってのう。全く、その時ばかりはちっとも仙人らしくなかったよ」
心底愉快そうに、せんにんは声を立てて笑う。
「ふはは、最後の最後でまんまとやられたわい」
「……でも、そのひときっと、おじいちゃんのこと『やってやった』なんて思ってないよ」
射抜くような、それでいて何もかもを包み込むような視線に、微かに、せんにん本人すら解らないほど微かに彼の目は見開かれ、そして次に三日月の形に模られる。
「ああ、そうだとも」
ゆうるりとした優しい、暖かい手つきで、コキンちゃんの頭が撫でられた。
「コキンちゃんは優しい子だね」

お話に幕を下ろしたばいきんせんにんが、コキンちゃんを送るために部屋から出て、そこで見つけた彼女のぼろぼろのUFOを修理するようばいきんまんに言いつけようと戻った時には既に、彼はラボにはいなかった。
UFOによじ登り、白衣を脱ぎ捨て、ばいきんまんは彼らとは別の出口から城を抜け出す。
何故だかじっとしていられないのだ。狭い部屋に留まって研究を続けるなんてできない。
研究者の目で、分析するためにモニター越しに見つめてるだけだなんて、とても。
しかしおかしなことに、気分転換にいたずらをするという気にもなれなくて、ばいきんまんは当てもなくUFOを走らせる。
がむしゃらに進む間ずっと、ばいきんせんにんの声が蘇り、それはいつまでも狭いキャノピーの中を木霊した。コキンちゃんのように直接見ていないのに、声だけでなく不思議と眼差しまで空に描けてしまう。
然るべき別れが訪れた時に自分を取り乱させるひとなんて、そんなのドキンちゃんだけで十分だ。コキンちゃんもそう。ついでにホラーマンとアカキンマンアオキンマン、ドクターヒヤリとばいきんせんにんと、なんだったらフランケンロボだって入れてやってもいい。
「くっだらないのだ」
そんな別れがもし来るのなら、その時は大笑いしてやる。