轟く雷鳴、空から地面へと一直線に落ちる稲妻。地面が真っ二つに引き裂かれる。
「勝負だアンパンマン!!」
暗雲立ち込める中に姿を見せる稲光のように、黒いリボンを鋭く日光に煌めかせ、ロールパンナはアンパンマンにそれを放った。
日頃から鍛錬を重ねている彼女のリボン捌きは熟練のもので、まるでロールパンナの手そのもののように、操り主の意思通りに動く。
空中に出来ていた穏やかな風の流れに逆行し、斬り裂き、まるで毒蜘蛛が噴き出した糸のように動き、アンパンマンに一撃を与えようとする。
しかしリボンが射たのは宙だった。
「ち!」
避けられた、とロールパンナの脳が思うよりも先に、瞳は赤のヒーロースーツと茶色のマントを探し、捕らえ、指先は次の一手を放つ。
今度こそリボンはアンパンマンの手首を捕らえ、彼を空中に留めた。
「ロールパンナちゃん!」
しかしそれで大人しくやられるアンパンマンではない。自由な手でリボンを掴み、思い切り強く引っ張ってロールパンナのバランスを崩しにかかる。数々のばいきんメカを破壊してきたその力で加減することなく手繰り寄せ、ロールパンナの体が僅かに傾いた瞬間、蹴って勢いをつける物もないような空の中でさえ、心臓を射る矢のような速さでに彼女の懐に飛び込む。
コンマゼロゼロの世界において、ロールパンナの瞳孔が驚きと覚悟にきゅうっと窄んだ。
「ふふははは掛ったな!!」
――しかしそれは驚きではなく、ましてや覚悟などといった敗者のものではなかった。
「!?」
まんまと己の懐に飛び込んできたアンパンマンが振り翳す拳をスティックで受け止め、力と勢いを削げ落として押し返す。
最も、アンパンマンはアンパンマンでロールパンナを殴って止めようとしたのではない。ブラックロールパンナであろうと、彼は仲間に暴力は振るわない。片方拳を突き出し空気による抵抗を軽減させるのは、彼がとりわけ勢いをつけて飛ぶ時の癖なのだ。
更にリボンを弛ませ、自在に操ってアンパンマンの拳を弾き返す。
ついに彼がよろめく。その隙をつき、ロールパンナはアンパンマンに飛びかかった。
「ぐっ……!」
胸をスティックで突き、抉る。
狭い分だけ圧が掛り、アンパンマンは鋭い痛みに声を漏らした。先端が尖っていれば穴が開いていたことだろう。
それを見てもロールパンナはあくどく笑みもせず、ぎらりと赤い眼球を血走らせる。
そうしてそのまま、ふたりして地上へと落ちていく――――

地面に激突する直前、終わりがそこまで迫っていてもロールパンナがアンパンマンを更に地面に突き出そうとする様子は見られなかった。ロールパンナを掻き抱き、アンパンマンは体を捻って直撃の威力を軽減させようとする。
「し、死なば諸共過ぎるよ君は……」
それでも相当な勢いで地面にぶつかり、結果捲ってしまった土の中から、ぼろぼろになったアンパンマンが起き上がる。
胸にはしっかりと抱いたままのロールパンナ。
一拍遅れて苦しさと砂煙に咳き込みながら、アンパンマンはロールパンナの背中から手を退ける。
しかし彼女は立ち上がらず、代わりにアンパンマンの肩を掴んだ。
「え?」
開いた穴の壁面に彼の背中を強く押し付け、ロールパンナは邪魔だとばかりにリボン脇に投げ捨てる。
「ろ、ロールパンナちゃん?」
俯き、顔に影をつくっていたロールパンナの表情はアンパンマンには見えなかった。
それを、後ろで結んだリボンを大きく揺すって顔を上げることでやっとアンパンマンに見せながら、ロールパンナは同じ台詞を叩きつける。
「勝負だアンパンマン!!」
「な、なんの勝負ぅうう!?!?」
素っ頓狂な叫びを上げたのは、彼女が彼女自身のその台詞を言い終わるか終わらないかでアンパンマンのベルトに手を掛けたから。
ほとんど引き裂くような、否、むしろ何故破れないかが不可解なほどの力強さと迷いのなさで、ロールパンナはアンパンマンを暴く。
「ちょっ、ちょっと、ろーる、ろーる………! お、おぉお落ち着いて!!」
「アンパンマンはわたしが倒す!」
「聞いてぇえええ!!!」
ついにベルトを引き抜き、わたわたと手をばたつかせるアンパンマンの両手を捕らえ、一括りにしてしまう。
「き、きみのその趣味にはついていけないって、ずっと前から思ってたけど!」
「? なんのことだ」
アンパンマンが言っているのは、いつもいつも彼女にロールリボンで雁字搦めにされることなのだが、別段趣味というわけではなく、攻撃手段として使っているだけのつもりのロールパンナだったから、眉間に皺を寄せただけだった。
しかしつもりはあくまでつもりなだけで、ロールパンナにはその素質が十二分に含まれているのだ、周りから見れば。
それはもう潔いほどにズボンに手を突っ込み、ごそごそとまさぐったかと思えば、次の瞬間にはそれを潰さないぎりぎりの力で鷲掴む。
「ぎゃぁああああっ!!」
「わあ、メロンパンナがいつも持って来てくれる、焼きたてのパンみたいだ。ふわふわしてて、やわらかい……」
「きみはほんとに、ほんとうにいつもどんな時でもメロンパンナちゃんメロンパンナちゃん………っわあぁ!!」
メロンパンナの名前を出して、ブラックロールパンナでありながらも急にほんわかした彼女に合わせて力が緩くなり、離されたかと思えばまた握られ、先端を指先で押し潰される。
「わ、わかったよ、ぼくの負け!」
付き合ってられない。アンパンマンは叫ぶ。
「ばいばいあーんってやってあげる、吹っ飛んであげる!」
「馬鹿にするな!」
「ばばば、ばかにしてるのはロールパンナちゃんの方だよ! こんなことしても勝ったことになんない、絶対ならないよ!!」
本気で事に当たっているだけに凄まじい剣幕で逆上するロールパンナに、どう説明すればいいのか、いやそもそも彼女はどこからこんなことを聞いてきたのか、アンパンマンは困惑と絶体絶命のピンチに目を回す。
しかし、秒数にすると二秒にも満たないその間が命取りとなった。
「あ、ああっ――!?」
アンパンマンの身を守る衣服をずり下ろし、手に握っていた彼のそれを外気に晒す。
ロールパンナが唇を歪ませるのが、覆面の上からでも良く解った。
「さあ! 見せてみろアンパンマン、お前の勇気の花―――――のおしべ!!」
「ひどい、その言い方はあまりにもあんまりだぁああああああ!!!!」
括られた手首を顔に押し当て、アンパンマンは仰け反る。どん引きだ。
構わず、ロールパンナは根元からしっかりと手で包んでいたのを離し、固さを持ち始めたそれを自立させる。
しかし。
「ん?」
頭に手を回し、覆面を解こうとしながらも彼女曰くのおしべにガンをくれていたロールパンナは、それが次第にはっきりと固さを増してくるのを目の当たりにする。
「は、ぅ………?」
様変わりするアンパンマンに、包帯にかかっていた手がずるりと落ちて、中途半端な位置で指先が宙に浮く。
固く、強く、一段と……。
「え…なっ、あ、ああ、あ」
ふしゅるるるるるるるる………。
闇のように濃い色に染まっていたロールパンナが、気が抜けてしまったかのように、頭の天辺から体を通り、爪先まで白で埋まってゆく。
烏の羽が雪を纏うように黒から白へ、最後に驚愕に見開かれた赤い瞳が青色に戻る。
しかし瞳孔ははっきりと開かれたままだ。
「ろ、ロールパンナちゃん…?」
アンパンマンが恐る恐る声をかける。と同時に、ロールパンナがメロンパンナなしで元に戻ることなんて滅多にないため、場違いな喜びを持って驚いてもいた。
がくり、とロールパンナは肩を落として地面に手をつく。
「す、すまないアンパンマン、わたしは、わたしは……」
小刻みに手を震わせ、固く拳を握る。指先が地面を抉り、彼女の白いグローブを土が汚す。
「ど、どうしたの? 大丈夫?」
「で、できない…こんなものを口に入れたり、舐めしゃぶったり、あまつさえおしりにいれるなんてことは、今のわたしには到底できそうにない………悪い、すまない、本当に…」
「いやしてなんて言ってないけど! 謝んないでよそれじゃまるでぼくが君にやれって言ったみた……」
「わぁああああああん!! ばいきん草が練り込まれていないメロンパンナにもあんなのがついてるなんてぇええええ!!!!」
「ついてないよーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!! ばいきん草は関係ないからねーーーーーーーーー!!! メロンパンナちゃんにはついてないよぉおおおおおーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!」
誰かに吹っ飛ばされたわけでもないのに、お星様を煌めかせてかっ飛んで空の彼方に姿を消していったロールパンナに向かって、どうか聞こえていますように!! とアンパンマンはあらん限り喉を振り絞って叫んだ。


「う、ううぅ……『どうしよう…これ』って悩むまでもないや、ぜんぜん、ちっとも元気なくなっちゃった……」