「アンパンマン」
どろどろどろ……、とおどろおどろしい筆文字で書かれた効果音を背景をしょっているような仄暗さを覆面の下に隠し、ロールパンナがアンパンマンに詰め寄る。
頭のあんこがあんまんのあんこのように茹であがってしまいそうな夏もようやく過ぎ去り、涼しい秋に差しかかった今、もう少し早く訪ねて来て欲しかった、とアンパンマンに思わせるような様子のロールパンナだった。
「どうしたの?」
思い詰めた表情の彼女は、しかし爪先だけは迷わずにアンパンマンに向かってずんずん進む。
アンパンマンの丸い鼻にその小さな鼻をぶつける勢いのロールパンナに、彼はぎこちなく、僅かに身を引く。
「あれから、メロンパンナの顔を良く見れないんだ。メロンパンナに、メロンパンナに、愛の花のおしべがついていると思うと、わたしは、わたしは……!!」
ロールパンナの言葉に、あくまで僅かに身を引いたつもりが止まらず、アンパンマンはそのまま真後ろにこけそうになる。
「ついてないよ。メロンパンナちゃんにはついてないよ……」
なんとか踏ん張って地面に両足をつけたまま、しかしすぐさま起こせずに、変に体を逸らして答える。
「ほ、本当? 本当に? メロンパンナには何もない? ついてない?」
そこに身を乗り出して、アンパンマンの胸倉を掴み、ロールパンナが折り重なるようにして顔を近付ける。
「うわあちょっと、お、おちる……!」
無茶な体勢にふたり分の体重を乗せ、アンパンマンはぶるぶる全身を震わせた。筋肉…というものが彼等にあるのかは解らない、小麦粉製のパン筋とでも言おうか、とにかくふくらはぎに普段しないようなおかしな力の掛け方をしているのだ、当然と言えば当然。
ぱちくり瞬いて、しかし苦しげなアンパンマンを目前にしても特に慌てずに、ロールパンナは空いた手で彼の背中に手を回し、己に引き寄せるようにして起き上がらせる。
そんなことをするより、胸倉を掴みっぱなしの手を退けてくれた方が楽に自分で起き上がれるんだけれど……。
「すまないアンパンマン。でもメロンパンナに」
「そ、そのことだけど、メロンパンナちゃんにはついてないよ……」
謝るには謝るが、すぐさまメロンパンナに話を戻すロールパンナに、この子はこういう子だとずっと前から知っているアンパンマンだったので、彼もすかさず話を合わせる。
「……信じたい。だけど……どちらのおしべをわたしに生やすか、ばいきん草とまごころ草が争った結果、わたしにはおしべがないんだろう」
「あ、あのねロールパンナちゃん……」
額に手を当て、アンパンマンは思わずがっくりと肩を落とす。この子は、育ってきた環境とその過程の問題で、ちょっと物を知らないところがある。それはロールパンナのせいではないのだが、よもやそれがこんなところで、こんな形で自分にしわ寄せが来るなどとは。
「女の子にはおしべ…って言い方も……ええとね、女の子にはこの前君が見たようなのは生えて……うぅう、この言い方もきのこか何かみたい………ええとね、ううん…」
言葉を濁し、なかなか先に進まないアンパンマンにロールパンナは痺れを切らす。普段の彼女はどこぞの黄色いあの子のように短気ではないのだが、妹が関わった時の彼女の基準が全て「いつも通り」にいくと思ってはいけない。
「メロンパンナに直接確認する」
と同時に、それに託けて妹に会いたい、というのも勿論ある。
アンパンマンはぎょっとして、しかしかの妹分ならば、少なくとも自分よりかは上手く彼女に説明してくれるかもしれないと思い、
「そ、そう。でもびっくりさせちゃだめだよ、気をつけてね」
と返した。彼女らが姉妹であることも大きいが、同性であることはそれ以上だ。アンパンマンには荷が重すぎた。
「じゃあぼくはこれで」
そそくさと飛び立とうとするアンパンマンであったが、しかし、
「お前も来るんだ」
ロールパンナに背を向けた途端に、それは許さないと言わんばかりに彼女は茶色いマントを纏う肩に手を掛け、それを引き千切るようにしてアンパンマンを振り返らせる。
「いやです、ぜったいにいやです」
ぶんぶん首を振るアンパンマンに、確固として抜くべからずを体現しているロールパンナは言い募る。
「だっておしべは徹底的にやっつけたい相手に限って、手を出していいものなんだろう。メロンパンナを徹底的にやっつけるだなんて考えられない。だから」
「はあ」
「メロンパンナにおしべがあった場合、本当はしたくないけど、メロンパンナを徹底的に抱き締めてぎゅうぎゅうしてやっつけて、騙したお前を市中引き回しの刑に処す」
「ぎゅうぎゅうでどうやって徹底的にやっつけるつもり、本当はしたいんでしょ。あとぼくとメロンパンナちゃんの落差。君はぼくに厳しすぎるよ、いつものことだけど」
本来なら全ての語尾に「!」を付けて突っ込んでやってもいいのだが、彼女の理不尽さと妹主義者っぷりに散々引っ掻き回されたアンパンマンは、何故だか却って落ち着いていた。
扉をノックをされて開けてみれば、大好きなお姉ちゃんと大好きなお兄ちゃん分が仲良く並んでいた。それを迎えたメロンパンナの喜びようといったら。
「わあ、いらっしゃいおねえちゃん! あ、ちがう、お帰り!」
瞳に輝きを、頬に色を走らせて、メロンパンナはロールパンナに飛びつく。
勢い良く胸元に飛び込んできたメロンパンナによろめき、けれどもしっかりと背中に腕を回してロールパンナは抱き止める。妹を受け止めることばかりに気を使って、足に踏ん張らせる準備をさせなかったものだから、今度はよろめいたロールパンナをアンパンマンが両手で彼女の腕を掴んで支えることになった。
「アンパンマンもお帰り!」
「ただいま」
ロールパンナの胸の中から、姉の背後に立つ兄貴分を見上げるメロンパンナ。えへへと幸せそうに笑って、今のアンパンマンでさえも重い気分から解き放った。ロールパンナはもちろん、自然とアンパンマンも笑顔になる。
元々彼は、知識がない故にメロンパンナを訪ねるに至った経緯を上手く説明できないであろうロールパンナに横から補足説明して、それが終わるとさっさと退室するつもりでいた。
それでもやはり気が沈んでいたのだが、メロンパンナのこの笑顔に救われた。
自分は少し、難しく考え過ぎていたのかもしれない。
「メロンパンナ。お願いがあるんだ」
メロンパンナを抱き締めたまま、さっそく話を始めたロールパンナだったが、メロンパンナも部屋に入るよう言わない。
そうしてしまえば姉は自分を離さなくてはならないし、座って落ち着いてしまってはもう一度抱き締めてだなんてとても言えないのだ。
「なあに? おねえちゃん」
「メロンパンナにおしべがあるかどうか確認させて」
「……? おしべ?」
ロールパンナのふたつのハートに思う存分頬をすりすりしていたメロンパンナは、一旦その動きを止めて、きょとんと姉を見上げる。
「ロールパンナちゃん」
ちょんちょんと肩を人差し指でつつき、アンパンマンが「それじゃ伝わらないよ」とロールパンナに耳打ちする。
そうか、と彼女は妹を見つめたままアンパンマンの囁きに答え、そして言い直す。
「服脱いで」
「ふえ……?」
しかし単刀直入を地で行くロールパンナに、メロンパンナはますます緑色の瞳を大きくする。
「あのねメロンパンナちゃん、脱いで欲しいんだ」
アンパンマンがそう補足する。
彼の助け舟にこくりと頷いて、ロールパンナは今度こそ妹に本心を届けようと再び言葉を紡いだ。
「服を脱いで、見せて欲しい。メロンパンナの…………メロンパンナ?」
ぱくぱく、ぱくぱく。
餌を待ち侘びる金魚のように小さな口をぱくつかせ、メロンパンナは口内の柔らかいオレンジ色を晒す。
金魚になったのはその唇だけではない。瞳の周りを飾るオレンジのチークとほっぺたを、その上から朱色で塗りつぶしたメロンパンナは、けれどもロールパンナの手を払い除けたり、彼女を突き飛ばしたりはせず、極めて温厚に、つまりは抱かれた格好そのままでゆっくりと身を引き抜いた。
「おねえちゃんとアンパンマンのばかぁあああああっ!!!」
扉が締められる直前、ロールパンナとアンパンマンが見たのは、頬を真っ赤に熟させ、瞳にいっぱいのメロン果汁を滴らせたメロンパンナだった。
「嫌われた……? うそだ、嘘だろう嘘だ夢だ、メロンパンナに、メロンパンナにきら、嫌われ……!」
「落ち着こうロールパンナちゃん。とりあえずジャムおじさんの部屋に行って原稿用紙を貰ってこようよ反省文を書いてメロンパンナちゃんに提出するんだ800字詰めを50枚ふたり合わせて100枚やだあああメロンパンナちゃんぼくたちのこと嫌いにならないでぇえええええええええええええ!!!!」