パン工場を余裕をもって出たメロンパンナは、通学路を歩いて行く。
マントで飛ばないのは主義と言うかこだわりと言うか、といってもそこまで大袈裟なものではないのだが、困っている人を一刻も早く助けるためにスピードとさっと一瞥しただけで広い範囲を把握しなければならないパトロールとは違って、それが要求されないので、彼女はこの時間を大切にしている。
尚、遅刻ぎりぎりの際にはこのささやかなお楽しみはすっとばされることになる。
石畳で舗装された街の道ではない、簡単に均された草原の道を歩いて行くメロンパンナの後方から、タイヤが土を擦る音が近寄る。
振り返ると、白い車がこちらに走って来るのが見えた。
彼女と並ぶ直前に、車体に大きくSと描かれたその乗り物のハッチが開く。
「やあメロンパンナちゃん」
「しょくぱんまん。おはよう」
座席からひらりと手を振るしょくぱんまんに、メロンパンナも挨拶を返す。
「乗っていきませんか?」
そう誘われて、
「やったぁ! ありがとうしょくぱんまん」
笑顔で答えたと同時に浮き上がり、すぐさま助手席に乗り込んだのは、これもまた彼女が大切にしたいと思った時間だからだ。
「学校では何を勉強しているんですか?」
「算数でしょ、国語でしょ、体育でしょ、理科と、社会、体育に音楽に、あと図工も」
「楽しい?」
「うん、すっごく楽しい!」
授業中でもないのに「はーい」と元気良く手を上げるメロンパンナに、ハンドルを切りながらしょくぱんまんはくすりと笑う。
しかし、そんな穏やかな時間は、やっぱりいつもの彼によって引っ掻き回される。
ぐわん! と車体が大きく揺れ、続いて高く持ち上げられ、衝撃にしょくぱんまんとメロンパンナは前へと突っ伏してしまう。
「はーひふーへほー!」
「この声は、」
反射でハンドルをしっかりと握りしめ、しょくぱんまんは真上を見上げる。
「ばいきんまん!」
しょくぱんまん号を襲ったのは案の定ばいきんまんだった。UFOから伸ばしたばいきんハンドで彼の車をがっしりと掴んでいる。
「何をするんですか!」
「うるさーい、黙ってしょくぱんよこせ! おれさま腹ペコなんだー!」
「いいですよ」
「じゃーあ奪い取……はひ?」
あっさりとそう言ったしょくぱんまんに、ばいきんまんはきょとんとする。
「いつもちょっと多めにつくっていますから、少しくらいなら差し上げ」
「ばかにすんな、少しじゃ全然足りないのだ!」
操縦パネルに拳を叩きつけて、ばいきんまんは怒りを露わにする。
「そうですか、それじゃ諦めてください」
「何をぉぉぉ! ばかにしやがって、もう許さないぞ!」
いつもはヒーローが口にする台詞を吐き、ばいきんまんはハンドを動かしてしょくぱんまん号を更に大きく持ち上げようとする。
きっとさっきよりも激しく揺さぶるつもりか、もしくは地面に叩きつける(でも、そこまで彼も極悪でもないはずだから)つもりだろうと読んで、しょくぱんまんはアクセルを思いきり踏み込んだ。
タイヤがハンドを擦りつけるようにして回り、しょくぱんまん号はピンクの大きな手の中から外に飛び出す。
更にハッチを開き、
「願いします!」
「えええっ!!」
ハンドルを手放して、運転席から飛び上がった。
嫌な浮遊感に目を回す余裕すらなく、メロンパンナは弾かれるようにハンドルに飛びついた。
車体が地面に叩きつけられる。
強い振動に歯を食いしばって屋根に登り、しょくぱんまんはばいきんまんと対峙した。
「やるか!」
ばいきんまんはそう息巻くが、今回ばかりはしょくぱんまんは彼にレバーを引いたり、パネルやボタンを押す隙を一瞬たりとも与えない。
つもりだったのだが、
「しょく……わわわ」
「ふげっ」
ぎゅんと車が急カーブを切り、しょくぱんまんは屋根から足を滑らせる。
すぐさま体勢を取り直し、彼はUFOのハッチに頭をぶつけて目を回しているばいきんまんの元へと飛ぶ。
「しょく・パーンチ!」
「ばいばいきぃーん!」
UFOと共に吹っ飛ぶばいきんまんを、いつもは彼が朝の空に星をきらめかせるのまで見送っているのだが、メロンパンナに運転を任せてしまっているので、しょくぱんまんは早急にそれを切り上げて席に戻ろうとする。
が、
「きゃああああ!」
思わず前を向くと、そこには道がなかった。
「しょくぱんまん! 前崖危ないこれ止めて!」
「ブレーキを!」
叫びながら運転席に滑り込もうとして、しかししょくぱんまんの体はいきなりスピードを上げた車に弾かれ、後ろへと置いて行かれた。
「さすがメロンパンナちゃん――――お約束!!!」
飛んだ。
彼女が踏んだのはアクセルだったのだ。
「ぐっ……!」
車体の横を風を切って先回りし、しょくぱんまんは落ちてくる車を受け止める。
顔をしかめて踏ん張って、なんとか落ちる速度を緩める。地面すれすれにまで落ちたところで、しょくぱんまんは車の下から滑り出た。
ずしんと重い音を立てて地を踏みしめるしょくぱん号。その持ち主は一つ長い息を吐いて、それから慌てて運転席に駆け寄った。
「メロンパンナちゃん!」
肩にそっと手を当てて、ハンドルに突っ伏したメロンパンナにしょくぱんまんは声をかける。
「しっかりしてください、メロンパンナちゃん」
「………う、うん……」
かすれた、弱弱しい声を漏らして、メロンパンナは起き上がった。
ハッチ越しではない外を見て、震える手の平を見て、それから彼女の大きな目はしょくぱんまんを映した。
「あ、あたし……、あたし…」
唇を震わせるメロンパンナに、しょくぱんまんは安心させるために笑って見せた。
「大丈夫。すみません、無茶なことを言いましたね。ありがとう」
それを聞いて、メロンパンナは今度は唇だけでなく、体全体をぷるぷると震えさせる。
「うぁあああーん!」
口を大きく開けて、喉を絞るようにして声をあげ、メロンパンナはしょくぱんまんに飛びつく。
「怖かった! すっごく怖かった! ひどい! ばいきんまんもしょくぱんまんもひどい!」
「すみません。ごめんなさい。お詫びにもなりませんが、帰ったらメロンたっぷりのおいしいフルーツサンドをつくらせて頂きます。ばいきんまんにもきっつーいパンチをお見舞いしておきますよ」
彼女の丸い頭を撫でて、しょくぱんまんはそう約束した。

その日、可愛らしい顔を涙でぐちゃぐちゃにしたメロンパンナは、しょくぱんまんに付き添われて教室へと姿を現した。
しょくぱんまんはメロンパンナが落ち着いてから連れて行こうとしたのだが、彼女は遅刻はどうしてもいやだと言ったのだ。
なんとかメロンパンナを留めようとしたしょくぱんまんだったが、べそをかきながら見上げられたら言うことを聞くしかあるまい。
その生真面目さはなんだか気の毒になってしまうほどで、例外のパターンはあれど基本的にこちらも真面目なしょくぱんまんは、様子のおかしい彼女を心配して集まってきてくれたクラスメイトに懸命に笑って見せるメロンパンナを見て目を細め、それからミミ先生に事情を伝えに行った。