二歩目編 / 決戦編 / キャプテンに萌える後日談





「ちょっと厠」
「目になんか入ったから洗ってくる」
「そういえばやかん火にかけっぱなしだったかも」
「あ、鍵かけてない」
「明日の天気予報だけ見せて」
「金魚に餌やるの忘れた」
「持病の腰痛が」

「や、や、やる気あるのか貴様っ!」
やられる気…などと言葉遊びするような余裕は、こう指摘するだけでも振り絞ってかすかすになるほどの度胸を発揮しなくてはならなかったゼロにはなかった。
「だって、お主は、お主はそう言うがなぁ!」
逃げ口実をずらずら並べ、ゼロのストレートを目指してことごとく玉砕していっているサイン(普段問答無用で頭や刀に咲かせる花を手渡ししようとして、できるかぼけ!とひとり叫んで床に叩きつけたり)(物に、それも花に当たってしまったことに自己嫌悪しているところを見かねてにじり寄ってみると、見上げて、更に顔を真っ赤にして爆熱丸の名前を呼ぼうとして思いきり噛んだり)(その赤面に釣られて同じように赤くなり、あわあわした爆熱丸によって、そこでやっと冒頭の言い訳が出てくる)を更に粉微塵にしておいてなんだが、何時までも逃げられるとは思っていないし、「嫌だから」逃げたい訳ではない。のだが、なのだが。
いっそ、「じゃあお前がこっちやれ!」と言うだけ言ってしまえれば、実際に代わる代わらないは置いといて、こちら側の懸念をその身に当て嵌めて考えてみてくれる、と、思うのだ。と同時に、ゼロが爆熱丸の不安を察していない、思いやってもいない、等ということは絶対ないのも良く解っているのだが。
さて、前回はなし崩しにああいう役割分担になったわけで、今回仕切り直すという方向に持って行こうとしないで、実際には代わらなくてもいいから、などと自然と頭に浮かぶのは、一重に爆熱丸が(これはもちろん無意識下で)、ゼロを妙に丁重に扱いたがっている節があるからだ。
具体的に言うならこう、
だってこいつ絶対びーびー泣くよ! 耐え性ないし、とんでもなくプライド高いんだもん!
……という風にゼロを捉えて、自分がこの役割りを担うことを納得させようとしている。
かといって彼を見くびっているのでは無い、けれども負担を掛けさせるには彼はやわ、屈強な己の方が「どちらかというと」、「まだ」、適任だと思っている……要はゼロに対してちょっと過保護気味なのだ。ひょっとするとこいつを受け止められるのは自分だけ、なんて自惚れめいた所も僅かにあるのかもしれない。
「えーい、ええいっ! いいだろう腹を括ろう!」
迷いを断ち切るつもりで兜を振って、爆熱丸はぎゅうっとゼロの手を握る。
「ちょっ、と、わわっ、あ、あんまり強く引っ張るな!」
と、いざそうなると困惑しきりなゼロを連れて、爆熱丸は自室の扉を蹴っ飛ばした。

間抜けだ、すこぶる間抜けだ。
「す、素直に倒れないか」
ぐぐぐぐぐ。肩を掴み、力を入れて押し倒そうとしても、それ以上の力で踏ん張られてしまえばエネルギーは同じところに留まるだけで、それも叶わない。
「うぐぐ…そう言われても、言われても……」
初めこそ、手は添えるだけで、後はそーっと慎重にリクライニングシートばりにゆっ…くりと押し倒してやるつもりだったのだが、もうこうなってはちょっと変わった押し相撲をしているようなものだ。
ベッドに腰かけ(させられ)た状態で、腕を突っ張り、淵に手を掛け、そこをぎちぎちに握って抵抗する爆熱丸の肩を一層強い力でぐいぐい押して、ゼロはとうとう口を開いた。
「さっさと倒れないと、このままあの……い、いろいろするぞ」
「それは嫌だ、でも見下ろされるのもなんかいやだ…」
「じゃあ立ってする」
こてん。
「………」
「うるっさいな! 立ってたら俺もお前もしんどいだけだろう!」
何も言っていないゼロにそう怒りながら、しかし彼の分のスペースを空けるためにずり上がる。「よい、しょ」
膝から乗り上げて座り、ゼロが布団を沈めると、爆熱丸は転がっていたクッションを手繰り寄せて抱き締め、顔に押し付けた。
呆れたような、不満気なゼロの声が降って来る。
「またそれか。どうしてそう……そうやって…」
「……見られたくないからです」
そんなの解りきったことだろうが、と思いながらも、爆熱丸はごにょごにょ答える。
「それは…どうしても、その……見られたくない?」
「…………。み、みた、みたい、のか…?」
「なっ、何を言う! べつに、そんな、そんなことは…………!」
弾かれたようにゼロは声を張り上げ、ぽか、とごく軽い力でクッションを叩く。 で、
「……ちょっと、だけ、3ミリぶんだけ」
………。
「さんみり…ってどれくらい……」
聞いてみると、外からクッションを掴まれる。しがみつく力を抜いてやれば、ゼロはそれを両手で取り上げ、まるで小さないじめっこがやるように高々と持ち上げた。
「そ、それが3ミリぶん?」
「そう、これが3ミリぶん」
「そうか、なら仕方ないな」
「そうだ、仕方ないのだ」
何がだ。一体何が仕方ないと言うんだ。
然るべき発言はどちらからも終ぞ出て来ず、爆熱丸が納得したところで、ゼロはそれを脇に寄せた。
そして改めて向き合っ…てはいない、爆熱丸は天井のパネルを、ゼロは布団のユニット模様をねめつけ、しかし、どかん! とほとんど同時に顔面を染め上げた。

場を支配するのは、硬質同士が触れ合う音と、色気もへったくれもない呻き声だ。
「あー、……あー、もう、…うぅぅ」
否、呻き声であるかも怪しい。痛みに耐えて漏れ出るのが呻きなら確かにこれはそうなのだが、爆熱丸のには言い出しにくいことを抱えていたりする際のもの、更にそこに触れ合った時に穏やかに聴覚を撫でる音を聞かないようにしているようにも見える。
「うー……ゼロ、あのさ、あのー…」
「うん」
もぞもぞ喋り出すと、ゼロはぴたりと手を止める。この変に丁寧な扱われ方も恥ずかしい。
若さと情熱にに任せてがつがつと…、な展開にならないのは果たして自分達らしいのか。普段の付き合い方を考えれば全くらしくない、のかもしれない。
「すまん、なん、か……やっぱりきついから、あの…」
ゼロの腕にしがみついて起き上がり、しかし目を合わせず、かといって俯くなんてもっとできないので、壁にかけられたカレンダーに視線を注ぐ。
「い、いわゆる…ほら、引き戸が突っかからないようにするために……」
しかしこれだけでは伝わらず、ゼロは首を傾げた。
「引き戸?」
「の、溝に塗る、油、みたいなものが欲し、い…」
「あぶら…。……?」
「いや、それはものの例えであって、本物使われたらぎとぎとして堪らんから、だから、ええと」
言葉を濁しながらもなんとか伝えようとして、しかし碌に喋られないで黙りこくる。一先ずは続きを待っていたゼロだったが、ついに爆熱丸は彼の砦からすり抜けた。
「……ちょっと待ってろ。すぐ戻る」
「すぐだぞ」
「うん。その間素数でも数えていろ」
「…それは緊張している時にすることであって、暇な時にすることではないだろう。いや、それより君が素数を知っていたことに驚きだ」
「まーた俺を馬鹿にして…」
爆熱丸はゼロのその言葉に何時ものようにむきにならず、扉に手を掛けて部屋から出て行ってしまった。
ああ言ってしまったが、今の自分が緊張していないとは言いがたいので、ゼロは口に出してそれを行う。
「素数がひとつ、素数がふたつ、素数がみっつ……」
緊張し過ぎである。


どん、と音を立ててサイドテーブルにボトルを置き、しかし手を離さずもう一度持ち上げて、爆熱丸はゼロの目の前にそれを突き出した。
「はい」
半透明の容器の中身がたゆんと揺れて、ゼロは漸く爆熱丸が言おうとしていたことに気付く。
「あ、ああ、そういう…」
そこにラベルは貼られていない。市販のものとは違うのだろうか。
「ほら、手出せ」
ポンプが押され、ゼロの手の平にとろりと液体石鹸が注がれる。薄く色のついたそれを眺めながら、ふとゼロは今の時間帯を考えた。
個人部屋にはシャワーが備え付けてあるのだが、ここに爆熱丸が訪れた当初、「はんぎゃぁああああ!!」と身も蓋もない叫びが聞こえてきたので黒いあいつでも出たかと思って覗いてやると、シャワーがぐねぐねと蛇のようにのたうち回って冷水を撒き散らし、部屋が水浸しになっていた……ということがあって以降、爆熱丸は洗面台より奥のそこには寄りついていない。
つまり彼がこれを持って来られるのは、ちゃんと浴槽もある共同の大風呂からくらいなのだが、夜も遅いこの時間ではもう閉まっているはずだ。ということは。
「………これ、借り物だな?」
「うん。リリ姫の」
「ばかぁああああああああああああ!!!」
「あだだだだっだ痛い痛い痛い痛い沁みる沁みる!」
ゼロの手がぺちんと爆熱丸の頬を叩く…否、撫でる。格好と気分は平手打ちなのだが、勢いはほとんどついていないので打撃による痛みはない、その手に汲まれた石鹸がべったりと頬に擦りつけられ、弾みで目に入ったのだ。
「我がリリジマーナ姫の! その繊細で華奢な御身体を清めるためのものを! こんなことに使えるかぁああ!!!」
「姫が一番ぱあーっと気前良く貸してくれそうだったからぁ!!」
「姫じゃなくても誰かのものなんて使えるか馬鹿ー!!」
手の平を彼の顔にこすりつけ、削げ落とす。もう爆熱丸(の顔)で全て拭き取ってしまいそうな勢いだ。
かと思えば、後のことを考えずに布団になすりつけ、ゼロは勢いそのまま、テーブルに置かれていた刀油の瓶を引っ掴んだ。
「私がこれを使おうとしたら、お前も腹が立つだろう!」
小瓶を振って液体を揺らし、爆熱丸に示す。
「あ、当たり前だ! 刀は武者の魂だぞ! それを手入れするためのものを、こんな不埒なことに……ふらちな……」
徐々に声がフェードアウトしていく。ゼロが言わんとしていることを己の身に置いて理解したのと、これからやろうとしていることを口にしようとして、でもやっぱり出来ないことに、だ。
「…すまん、浅はかだった。返してくる」
「い、今は駄目だ。もう夜も遅いし、二度も君や私如きが姫の眠りを妨げてはいけない。明日の夜までは姫もこれには用はないだろう」
普段のゼロなら姫に何か借りたのなら、いつ姫がそれを必要としてもいいように、すぐに返したがりそうなものなのだが、今回ばかりは例外だ。一度彼女と顔を合わせてしまえば後ろめたさと、しかしそれを上回るいつもより一回多く姫の御顔が見れた、就寝の挨拶ができた幸福で、もう思い残すことはちょっとしかない! とそのまま自室に直行して布団でぐっすりと眠ってしまう。姫煩悩とでも言えばいいのか。
「よし」
立ち上がり、ゼロはティッシュの箱に伸びていた爆熱丸の手を捕まえた。代わりに自分の空いた手でそれを数枚引き抜き、顔を拭いてやる。ぞんざいな手つきに「ふぐぐ」「いたい」などと潰れた声が聞こえたが、それはまあいい。
あらかた拭き取ると丸めてゴミ箱に放り、手を引っ張って爆熱丸を立たせた。 されるがままに立ち上がり、訝しんでいる彼の脇に転がっているボトルを拾い上げ、姫にそう接するようにひどく慎重にサイドテーブルに置く。……かと思えば視界の隅にすらちらつかないように、今度はクローゼットにしまった。
そして爆熱丸を振り返って一言。
「新しいの買いに行くぞ」
「か……でえぇええええっ!? やだ、やだやだやだやだ嫌だ!!! 一人で行ってくれ!」
「何故だ、ちょっと出かけて日用品を買うだけだろうが!」
「そうだけど! でもお前! 俺とお主が並んで日用品選んでたら、そんなの面白すぎるだろう!」
「面白がらせておけ!」
「無理! こ、こここ、こんなことに使うのを、平気な顔して連れ立って買いに行けるか!! お前が買って来い!」
「嫌だ恥ずかしい! ベッドに正座して待っているお前のこと考えながら、どれがいいかなーなどと私に選べと!?」
「いやそれも相当恥ずかしいけど、でも一緒の方がぜったい恥ずかしいってぇえええ!!」
「行くぞ!」
「どわわっ、お、おおぉい! わかった行くから抱えて飛ぶなぁあ!!!」


「あ、ローズの香りだって。これにしよう」
「薄ら寒い、無臭で良いわ無臭で! あ、味海苔買っていい?」








プラスチック製のボトルをめきめき軋むほど強く握りしめ、爆熱丸は意味のない言葉を口にする。
「いや、これは……これって、これ、って…」
拒絶というほどきつい主張ではない。何か喋っていないとこの空気に押し潰されてしまいそうなのと、奇妙な感覚に黙っていられないのだ。ゼロは喋ってくれないし。
ひやりと冷たい、とろみのある液体を絡めた指が撫でて、押して、なぞって、そうされる度に声を引きつらせる。
「うわ、うわ。い、嫌だ、いやだ」
入り込んできた指に思わず口走ると、ゼロは手を止める。幾度となく繰り返されたこの連鎖に、それはそれで生殺しだ、…自分もゼロも…
爆熱丸は異物感に耐えながら、しかし結果的に更に自分自身が追い詰められるように誘導する。そうでもしないと一生終わらない。
「あ、あのな、嫌だとか駄目だとか散々言っておいてあれなんだが、その度に一々手を止めなくてもいいんだぞ。じょ、条件反射みたいなもので、ほんとうに、本当に嫌なら殴り飛ばしてでも、とっくに逃げて、る、わけ………から…」
何言ってんだ俺は! 蛇の尾のように、終わるにつれてどんどん小さくなっていって、最終的には元から無い度胸が声と共に消え失せる。
焼け切れそうな羞恥にますます手に力を込めると、みし、と不吉な音がした。
「あ、危なっ」
慌てて緩め、容器にひびが入っていないか指先で確認していると、ゼロがそれを取り上げた。
布団の端にそれを放り、代わりに片手を突き出してくる。
「はい、はい!」
「う、え…?」
咄嗟には解らず、差し出された手にぽかんとしていると、
「お、おおお、お手!」
「だっ……だぁーれが犬扱いしてもいいと言ったぁ!!! 俺はそこまでは言っ…」
「お手を! どうぞと! 言っているのだっ!」
怒鳴る時とさほど変わらない音量で叫ばれる。
この前もそれはしていたのだが、どうやって繋いだのか瞬時に思い出せない。初回とは違ってほんの少し、本当に少しだけだが落ち着いてしまっているからこそ、以前は勢いと流れでしていたことも、以降改めてとなると照れて言い出せないことがあるのは確かだった。
「……ど、どうぞ」
「どうも……」
今度は頑張って穏やかな態度を取ろうとして、しかし普段通りに「騎士」として振る舞えていると評価するには幾分ぎこちないゼロの手に、爆熱丸は控え目に指先を引っかけた。
お互い遠慮しているように見えたのはそこから数秒間だけで、やがておずおずと指を絡めていく。
うわ、きもちわるい。じぶんもこいつもすごくきもちわるい。
ゆっくり手を繋ぎ合わせながら、頭から源泉ばりに湯気をもうもうと立たせ、ふたりは同じように考えていた。


「あーやだ、ほんとに嫌だ…いー………ぬるぬるする、ぬるぬ……だぁ嫌だ、駄目だ!」
相変わらずひっきりなしに呻く爆熱丸に、一々手を止めるなとは言われたものの、心配になってゼロは確認する。
「と…止めなくていい、のだな?」
すると一回こくりと頷いて、次に何回も左右に頭を振って、最後に一回だけまた縦に振る。
……多分、止めなくてもいいと言っているのだと思う。どっちつかずのようにも見えるし、極めて解りにくいけれど。
「う、うー……、ごっ、ぎっ、ぐぇえ…」
「いくらなんでもぐええはあんまりだ。ごっぎっもあんまりだ。…もうちょっとこう、なんか、こう………いろけ? …………いやなんでもない」
「無茶言うな、できるかそんなもん! か、代わってやろうか! そりゃぐえぇくらい出たって仕方な…いぃっ……!?」
深く抉られて、肩を跳ね上げた爆熱丸は途端に体を硬くした。僅かに声が上擦る。
「……ひっ、…か……あ、…」
「で、できるじゃないか、お前なりに」
「…ばーか! ばっか!! ぶわぁーか!!!」
「うわっ! あ、ちょっ、いだ痛いたた!!」
指先に桁外れの力が込められ、爆熱丸の爪先がゼロの手の甲に食い込む。
慌てて、ゼロはぎりぎり締めつけてくる手を振り払った。
「褒めたのに!」
「嬉しいもんか!!」
互いに声を荒げながら、しかし手を伸ばし合って、再びがっちりと繋ぐ。つくづく言ってることとやってることが合わない連中だ。
どのタイミングで次の段階に進めていけばいいのかなんて知らないが、大分苦痛も薄れてきたので、知らないなりにも目処をつけてゼロを誘導してやる(おかしい、本来なら自分が誘導される側であってもいいはずだ)、
「そろそろ、あの、つぎ、次、だいじょうぶだと思…う……」
が、
「…つぎ? 次って?」
よりによって我が翼の騎士は、きょとん、と瞬いた。
「あ、あ、悪趣味……!」
人のことは言えないが、どこか抜けている彼のために具体的に言ってやろうか……、なんてことはミジンコほども思わず、ここまで来て察せないゼロに衝撃と怒りと呆れと、そしてやはり「照れ」も存分に入って、爆熱丸は声を震わせる。いや、まさか彼が自分に言わせたがっているなどとは思っていないが。
それを受けて、まあるくなっていたゼロの目が一拍置いてから、ぎょっとますます大きくなった。 火がついたように、一気に捲し立てる。
「ちが、ち、違う馬鹿! そんな趣味はない! 断じて!!」
「な、なあんだよかった!」
必死なゼロとは対照的に、あからさまに爆熱丸は安堵の息をつく。
「てっきり、ゼロのバトラスソードをなんとかかんとか…なんて言わなきゃいけないのかと思ってしまったぞ」
いきなりけろっとする爆熱丸にずっこけそうになりながら、しかし正すべきところはちゃんと正す。
「ヴァトラス!!」
「ええっ、やっぱり言わなきゃいけないのか!?」
「言わんでいい馬鹿! バトラスじゃなくてヴァトラスだ!」
「ゼロのバト…」
「ヴァ! ばじゃなくて、う! うにてんてん!」
「うにのてんぷらてんどん?」
「だあーーーっ!!!」
急速に爆熱丸にペースを取り戻され、否、かと言って今まではゼロのペースだったかというとそうでもないのだが、頭を抱える。
「というか、そもそも『ゼロのヴァトラスソード』はごく普通の言葉だからな! 私の授かった伝説の剣が、それじゃまるで……い、いん、いん……」
こほん。
「何かとんでもない言葉みたいに聞こえるじゃないか!」
咳払いを挟んで指摘する。と、
「ああすまん、俺が悪かった! ごめん! お主に恥ずかしい想いをさせてしまったな!」
起き上がり、笑い声こそ上げなかったが、“日常でも良く見る”ぴーかん照りの明るい笑顔で謝られた。
「……! ………!!!」
続いて親しみを込めてばしばし肩を叩かれて、ゼロは絶句する。
日常からは随分とかけ離れたことの真っ最中で、ここまで何時も通りに振る舞われてしまった。いや、それよりも、
気を遣われた!
「ば、ば、馬鹿にしてぇえええ……!!」
よりによって自分が、この状況で、爆熱丸に、だ。
本来ならば自分が彼を気遣ってやるべきではないのか。いや、これでも(これでもだ。笑わば笑え!)精一杯気遣っているつもりなのだが、始めっからどちらにも無かったペースをこうもあっという間に奪取されては、理不尽な、どこにぶつけていいのかさっぱり解らない怒りに駆られてしまう。
結果、それは爆熱丸の肩を引っ掴んで押し倒すという、ここに来てようやくそれらしい行動を突発的にゼロに取らせる火種になった。
間近で彼を見下ろしてそれを漸く実感し、自分自身で唖然としていると、消火器を差し向けられた炎に意思があるのならきっとこれくらいに急速に大人しく、しおらしくなるのではと思わせるほどに爆熱丸から景気のいい表情が消え失せた。
と言って真っ青になるわけでもなく、ごにょごにょと歯切れの悪い物言いではあるが、なんと先を促してきた。
「こ、このまま、やっ…いや、つっこ……ええあ、その、い、いれる? なんか勢いついてるし、それがいいよな、うん」
「…その勢いが物凄い勢いで削がれたんだが……」
立場が無いここに極まれりなゼロはしゅーんと項垂れる。
「あ、すまん。いや、でもあんまり勢いあっても困るから…お、俺が、だけど」
「べつに、お前だけじゃない。君が困るのは、…私も嫌だ、し……」
「は、恥ずかしい奴だな!」
「言うなぁあああ! お互い様だろう!!」
照れからくる余計な行動ばかりに時間を取られていたふたりだったが、いよいよ臨戦態勢を取る。
爆熱丸の膝を立たせてやって、ゼロは慎重に、先端をぴたりと触れさせた。だけだったのだが、それだけで爆熱丸の足やら腰やらがびくーーー!!!と跳ねあがった。
「リアクションでかすぎない?」
「いいから!」
思わず素に戻るゼロだったが、爆熱丸は言葉少なにそっぽを向いて固く固く目をつぶるので、またすぐに彼を籠絡するのに取りかかる。
ゼロは爆熱丸の片足を抱え込むようにして、脇のすぐ外に寄せた。挟むようにして腕を使って抱えたそれを押さえる。
空いた方の手を彷徨わせるが、爆熱丸は破れないのがいっそ不思議なくらいに布団をぎちぎちに握っていたので、引き剥がすのも憚れ、ゼロのその手は適当に彼の体を押さえるのに使われた。
ほんの少し腰を浮かすようにして、ゼロは体を前に倒して爆熱丸に割って入ろうとする。
執拗にぬめらせたお陰で初めてにしてはすんなりと……とはいかずに、ぬめったそこはもう少しばかり柔軟でもいいはずなのだが、如何せん爆熱丸本人ががっちがちに体を固めてしまったいるので、押すも引くもままならない。
「ち、ちから抜け! 力抜いて、いっだい! ていうか息!!息!!!」
真っ青になったり真っ赤になったり目をぐるぐる回したり忙しい爆熱丸の鼻先をゼロは指さす。
「ぷはぁああ! むむむむりむりむりむり!! おっ…れの方がぜったい……いぎ、痛い目見てる!!」
あまりの緊張に息を止めてしまっていた爆熱丸は、ゼロに指摘されてからやっと酸素を取り込み、ついで顔を歪めた。
同じく強張った表情で、ゼロは布団を掴む手に手を伸ばし、指で彼の手の甲をなぞる。
すぐさま爆熱丸は布団から手を離し、自分の手を掴もうとするゼロの手を握った。 組み合わさる指の中、ゼロは動かしやすい親指で同じく爆熱丸の親指の付け根を撫ぜる。
何か一声かけるべきかと思ったが、何を言えば良いのか解らない、また何を言っても決まらないのは目に見えている。
ひゅっと息を吸って、ゼロは慎重に体を傾かせた。
「ちょ、ちょっと、まって、とまって、動くな!」
ゼロの手にしがみついてない方の手で、爆熱丸は彼を制した。まずかったかな、とゼロは瞬時に大人しくなる。
「いいから待ってろ、そのまま、動くなよ……」
一時ゼロの手を離し、自由になった両手を爆熱丸はゼロの肩に伸ばす。
震える手でゼロの肩をぎゅうと掴み、浅い息を繰り返す。はくはくと、なんとかして徐々に取り込む酸素の濃度を濃くしようとしている。
目に厚い涙の膜を貼り、額にじわりと脂汗を滲ませて懸命にゼロを飲み込もうとするその様が、なんだか、なんだか……
「…うっく……。う、ん、うん、多分、もうちょっと進めても、たぶん……」
ようやくまともに息ができるようになって、それでも控え目に控え目に、爆熱丸はゼロを見上げる。瞬いた拍子に、膨れ上がった涙がまぶたの外に押し出された。
血液が煮沸しそうだ。
「あ、こ、こら、阿呆!」
駆られるようにゼロは爆熱丸の腿を掴んで深く差しこむ。急な動きに、爆熱丸はがくんと足をわななかせた。
「もっ…とゆっくり、ま、待て待て……!」
ゼロの肩に添えていた爆熱丸の手が宙を滑る。それを捕まえ、布団に押し付ける要領で、ゼロはぐっと爆熱丸に体重をかける。
がち、と硬質同士がぶつかる音がした。自分達の場合、この鼓膜を打つ固い音こそが体と体がぶつかる音だ。
忙しなく音を立て、追いたてられる。
「に、逃げないから! あ、あわ慌てなくても、どこにも逃げないって!」
たまらなくなって爆熱丸は頭を仰け反らせた。
彼にしてみれば餌にがっつく子犬をたしなめるニュアンスだったのだが、どういう訳かゼロにとってはそうではなかった。どころか、何かのスイッチですらあったようで、抜き差しはますます激しくなっていく。
「っぐ…! だから急に…」
遠慮なく奥まで貫き、抜けてしまうぎりぎりまで手前に引き、また体を裂くように押し入るゼロに爆熱丸は大粒の涙をごろごろと零す。
「ひっ……むり、無理だって……!! たのむから、き、聞いてくれ、ぜろ、ゼロ!」
「聞いてる、聞いているからだ、君は、きみは馬鹿か」
動きは止めずに、うわ言のような音量でゼロは返す。
「わたしが欲しい言葉ばかり言って、本当に、本当に」
海面に叩きつけられたかのごとく爆熱丸は混乱する。「どこにも逃げない」と言葉をかけるのは、ゼロが今まで置かれていた境遇を考えればどれほど効果てきめんに彼を虜にするか、平常ならば瞬時に解るものだろう。
が、生憎と今の爆熱丸は平常や日常とはかけ離れたところに放りだされているせいで、続くゼロの、「もう、めいっぱい困らせてやる!」
彼が己にしていることとは真逆の、子ども染みた語彙を聞くだけで精いっぱいだった。
ペース配分など念頭にない運動に、爆熱丸は熱に浮かされたように喘ぐ。
「あくしゅみだ、やっぱ、ぜろ…は、あく、悪趣味だ……!」
「悪かったなぁっ……! ああ、そうだとも、私は、わたしは…」
「よりによって、お前が、お前がいいんだ、あくしゅみも悪趣味、っは……!」
「ああくそ、全然、ぜんぜん美しくない!」
その口癖は己に良く投げかけられるものでありながら、しかし爆熱丸はその最後の言葉は、今回ばかりはゼロがゼロ自身に向けたものだと正しく理解した。

さて、
「てぃっしゅ! ぜろ、ちりがみちりがみ!」
ゼロが爆熱丸から体を起こすと、彼はゼロの手を掴んだまま、片足で宙を蹴った。
片手だけ自由にしてもらい、ゼロはティッシュ箱に手を伸ばす。
「ちーん」
何枚か抜き取り、鼻先に押し当ててそう促してやる。
ぶびー!と景気良く鼻をかんでから、爆熱丸は叫んだ。
「って違う! そうじゃない、そうじゃ……」
くしゃくしゃ丸めてティッシュをゴミ箱に投げ入れようとして、しかしちょっと届きそうにない距離だったのでゼロは一旦身を剥がそうとする。が……
「あーばか!! 抜くなこら!!」
「へっ?」
「このまま抜いたら、今抜いたら、っわ……!!」
制止が間に合わず、ゼロが爆熱丸の中から退く。栓が外され、中から、でろー……と何やら濃い液体が溢れて来た。
「こうなるって言おうとしたのに……」
もうやだ、と言わんばかりに爆熱丸は起こしかけていた体を再び布団に倒し、腕で目を覆う。
ぎょっとして、ゼロはさっきまで滅茶苦茶して、今は残骸の伝うそこをまじまじと見つめようとして…ぶんぶんと頭を打ち振るう。
「ふ、拭くけど……」
「…………」
ティッシュをまとめて手に取り、おずおずと申し出るゼロに爆熱丸は返さない。 顔を覆っているのでゼロの姿は見えないが、この声を聞く限り反省はしているようで、少なくとも調子くれてるわけではない。
「さぞ気分が良いことだろう。はん、お主の望み通り、俺は今、めいっぱい困っている……」
「ふ、ふん、ああ、いい気分だとも。………ごめんなさい」
しょぼくれたやりとりとゼロの謝罪で、一先ず爆熱丸の剣呑な雰囲気は解かれた。
ごめんなさいついでに、後始末もままならなくてごめんなさい。
と、ティッシュを押し当てたまではいいものの、そこから先、爆熱丸がずっと、くすぐったいのかもっと別の何かなのか、とにかく肩や背中を震わせて声を押し殺す姿に彼は心中で謝った。豪快にそのまま布団に潜って寝ようとする爆熱丸に、ゼロは美しくないを連発し(「不潔だろう!」「誰のせいだだーれーの!」というお約束のやりとりを踏んで)なんとか宥めすかして風呂場に連れて行った。
シャワーを警戒する大きな小動物(ゼロにとっては矛盾でもなんでもないのだこれが)をなんとか洗ってやって、ちゃんと体も拭かせて、布団に潜り込んだのをしっかりと見届けてから部屋を後にした。
片方は布団の中で、もう片方は自室に向かいながら、一緒に寝ても良かったのかなあ、なんてぼんやり考えるが、今日は随分と疲れたし、それは次の機会に取っておいてもいいかなとも思う。
そして「次って!」と自爆するのだった。









基地内の食堂、空になったいくつかの食器をトレーに乗せて、キャプテンは食器を下げるために設けられた一角へ向かう。
その途中、それぞれ別々の入り口から入ってきたゼロと爆熱丸が鉢合わせするのを間近で見つけたキャプテンは、勉強熱心が故に、その後の彼等の奇怪な動きを「日常の一コマ」として逐一追った。
まず、お互いの顔を視界に捕らえた瞬間、ぐるっと爪先を反転させ、さっき入ってきたばかりの扉にむかってずかずかずかずかと進み、しかし他に食事のあてもないので立ち止まり、また反転。つかつかつかつか。
とうとう相手の真ん前まで来たところで、しかし目線は合わせずに、お互い自分の爪先に熱心な目線を注ぎながら、ぼそぼそと、
「お、は、よう、ございます……」
「おは、おはようございます…」
「きょ……きのう、昨日は良く眠れたか」
「お、おう、おかかさまで」
それを言うならお陰さまだ。キャプテンは後で爆熱丸の言い間違いを指摘してあげようと頭の片隅にメモ書きしておく。確かに今朝の朝食はおかかのおにぎりがメニューにあったけれど。
「そう、うん、なら良かった」
ゼロも特に突っ込まない。彼には彼で、仲間の言い間違いに気付かなかったことを教えてやらねば。 と、ここでキャプテンの思考は、勉強になると思って観察を始めた「日常の一コマ」がただの漫才だったと判明したのに加え、すぐ近くに現れたのが己の司令官であるハロ長官だったため、瞬時にそちらへと切り替わった。
「おはようございます、ハロ長官」
「やあ、おはようキャプテン。……カオ・リン教授は君に新しい機能をプレゼントしたのかい? 口から、食事でエネルギー補給できるような?」
はきはきしたキャプテンの挨拶は、未だ眠気の抜けきらない朝の時間には良い目覚ましになったようだ。ハロ長官は両手にトレーを持つキャプテンの姿をまじまじと見つめ、興味深そうに尋ねる。
「いいえ。ベルウッド教授のラボに運んだ朝食を回収してきました」
「ああ、一度没頭すると彼はなかなか出て来ないからね……。誰に頼まれたんだい? ジュリくん? アリシアかな?」
「私の独断です」
「へえ、そうか! そうなのか、うん、君も随分ひとらしく……」
なでなで。珍しくあからさまに、そういった扱いを受けたことがほとんどない彼から見ても解り易く「子ども扱い」を受けて、キャプテンは驚きにひゅうっと眼を窄めた。
誰かが何かにつまづく音、に続いて食堂の小洒落たテーブルが、乗っていたお盆と食器とその中身ごと引っくり返るけたたましい音、慌てた誰かがひよよよよよと空を移動する音が聞こえたが、キャプテンの優秀な聴覚機能はそれらを捕らえたものの、撫でられた手の平の感覚を反芻するのに忙しく、彼自身の意識には上らなかった。