賑やかな市の中心からほど離れたひとけのない場所で、豊かな自然に囲まれながら、けれども緑に塗りつぶされない、赤熱を連想させる武者姿のガンダムが坐禅を組んでいた。
瞼はすっと閉じられ、鋼鉄の肌は青白く、細く差し込んだ日の光がうすらと反射している。その呼吸は恐ろしくささやかで、かつ均一だ。
彼を中心に、空気はぴりりと張りつめていて、誰も彼もが、とても気安く声をかけられる雰囲気ではなかった。ただひとりを除いては。
その背後にひょっこりと現れた、今度は別の、青い鎧を纏ったガンダムが、そんな緊張感などものともせずに、ひりつくような集中を見せるガンダムの前にしゃがみ込む。
右から左から顔を覗き込み、目の前でひらひらと手を振る。しかし何をしても瞼は固く閉じられたままだった。
しばらくじっと見つめていたが、青いガンダムはやがて立ち上がった。諦めて帰ってしまうのだろうか?
しかし彼に帰る気のないことは、立ち上がった後踵を返すでもなく、むしろ向かって一歩踏み出した姿を見れば良くわかる。帰らないどころか、
「ねえ、爆熱丸」
そう呼んで、坐禅を組んだガンダムの、その膝の上に転がり込んだ。横抱きになるように腰を降ろし、足で組まれたいびつな輪のすっぽりとはまる。
それを引き金に、赤い鎧のガンダム、爆熱丸と呼ばれた彼はゆっくりと覚醒した。没頭していた無の世界から、膝にかけられた重みと甘い誘惑をもって浮世へ意識を引き抜かれたのだ。
作り物じみていた白い肌は精気を帯び、閉じられていた瞼は持ち上げられ、その下の爛々とした黒曜石のような瞳は鋭い視線を放つ。
ひとつ深呼吸して、爆熱丸は膝の上の彼をじとりとねめつけた。邪魔だから? とんでもない! その逆だ……!
「何してる?」
「こっちの台詞だ。お前こそ何してるんだ、ゼロ」
名を呼ばれた彼は答えず、にっこりと笑ってみせた。そんなこと、言わなくてもわかるでしょう?と言外に示した態度で、黙ったまま。青い甲冑の――ゼロは、爆熱丸に喋らせたいのだ。
「………見てわからんか。精神統一」
「そんなことするより、私と遊んだ方がずっと有意義な時間の使い方だ」
正しくは「私に遊ばれた方が」だが、口にはしない。わざわざ言わずともゼロがどういうつもりなのかは爆熱丸だって充分過ぎるほどにわかっているのだから。
「君もそう思うだろう、爆熱丸?」

ふたりの関係にケチがついた(と言っているのは爆熱丸だけだが)のは、かのガンダムとひとりの少年の劇的な出会いから始まった物語が「めでたしめでたし」で幕を閉じてからだった。
払った犠牲と、残った者たちのことを考えれば、とても「めでたしめでたし」とは締めがたい境遇に置かれたゼロを気にかけて、故郷を同じとするかつての敵大将が、かのやんごとないご身分のお姫さまを困らせていないか様子を見に行くという大義名分のもと、顔を出してみれば、ゼロはうんうんと頷いてから、「私を心配して来てくれたの?」と非常に素直に、同時に小悪魔じみた笑顔で爆熱丸にそう聞いた。「だったらすごく嬉しい!」とも。
預言を果たし、晴れて自由の身となったゼロのこの奔放さときたら! 翼をのびのびとめいっぱい伸ばし、振るわせ、大きく羽ばたく………のはたいへん結構なことだが、まさか自分の胸元に飛び込んでくるとは思っていなかったので、爆熱丸はぐるぐると目を回してばかりだった。だけでなく、つい、うっかり、しっかりと、抱き止めてしまった!
かわいそうなゼロ、と同情していたのは爆熱丸だけで、ゼロは彼が思うようなか弱い者ではない。もっとずっとしたたかだった。かわいそうがってくれる爆熱丸につけこんで、こうしてその懐にまんまと潜り込むほどには。
殊勝げに俯いて、思い出になってしまった友人たちを憂いたかと思えば、その仕草にまんまとほだされた爆熱丸をたぐり寄せる。「私とってもかわいそうでしょう?」と言わんばかりだ。
惜しげも無く哀れっぽく振る舞う彼に、頭でも打ったかなと爆熱丸は面食らったのだけれど、ゼロにしてみればまったくつまらないよくある話で、物語の終わりと共にせっかくきれいに別れることができたのに、その可愛いお友達がのこのことやってきただけでなく、また同じ道を歩むことになったものだから、どんな手を使ってでも骨抜きにしてしまいたい、ただそれだけのことらしかった。
「かわいそうな私には君のよしよしなでなでが必要だな、あとぎゅーっ♥も!」
今も昔もすごく辛かったのだから、と前置きして、ゼロはこう続ける。
「これくらいのご褒美があっても罰は当たらない」
ご褒美とまで言われては、一体誰が拒めようか! 憎くは思っていなかった爆熱丸なら尚更だ。
「お前がどうしても!と言うのなら………」と、仕方のない困ったちゃんたるゼロに付き合ってあげる、というスタンスを取るつもりだった爆熱丸は、当然ゼロがいつも通りに意地を張って、「お前がどうしてもと言うのなら付き合わせてやる」と偉そうに言われるか、もしくは、「馬鹿、誰がお前なんかと!」と取り下げ、はね除けられてうやむやになる結末を予想していたものだから、「そう、私困ったちゃんなんです。君に手を焼いて目をかけて大切に大切にしてもらわないと駄目なの」、とあけすけに言われて、咄嗟には反応できなかった。
「君が私のものになってくれないと思うと、ここ数日、食事は一日に三回しか喉を通らなかったし、夜は六時間しか眠れなかった」
二ヶ所ほど突っ込みどころのある台詞だったが、おやつも含めて一日五食、夜はたっぷり九時間眠るだけでなくお昼寝までする爆熱丸は、頭の足りない子のふりをして、それは一大事だ、とゼロに騙されてやった。

こうして、それまで至極健全な喧嘩友達だったふたりは、人前ではその関係をしっかりと演じ、一方でふたりきりになれば甘え上手と甘やかし上手な一面も持つようになってしまった。
不健全だ……と爆熱丸は思うのだけれど、今もこうしてゼロが頭を傾けて、胸に寄りかかってくるのを振りほどけない。
「こら、やめんか。はしたない」
投げ出されたゼロの膝をぺちんと叩いて、怒るではなく叱るように言うと、ゼロはまるでくすぐられたかのような笑い方をする。こうして爆熱丸に子どものように手を焼かれるのが嬉しくてたまらないらしい……。
緊張の糸がぷっつりと切れて、これまで無意識の内に押さえつけていたものが膨れ上がり、一時に押し寄せているのだろうか。
でなければ、預言を果たした救世主たるゼロは、己がかしずくお姫さまと、救った国中の人々が浴びせてくれた称賛の言葉ではなく、もっと気さくに、大げさに、思いきりもみくちゃにされて褒めて欲しいのだろうか。「よーしよし」って?
きっとゼロは父性に餓えているのだなと思った爆熱丸は、「ゼロちゃん?」だの、「父上って呼ぶか? 兄上のがいい?」だの、彼なりに一生懸命ガス抜きできるよう提案したのだけれど、どうやらとんちんかんだったようで、君にゼロちゃんと呼ばれるのは悪くないけど、君を父上と呼ぶのは絶対にいや!とそっぽを向かれてしまった。
ゼロいわく、子ども扱いされるのと、父が子を扱うようにされるのは全く違っていて、前者は欲しいけれど後者は絶対に御免らしかった。
さらに困ったことに、自分の優位性を誇示するように空に浮かんでいるのが常だったゼロは、ふたりきりになれば降り立って、爆熱丸の隣、もしくは真正面に向き合って立つことがずうっと多くなった。
なにが困るって、ふたりきりの時のゼロは、自分のわがままを爆熱丸に聞いてもらうために、それはそれは可愛らしく振る舞ってみせ、けれども小悪魔のように時折ちらりと牙を覗かせるのも忘れず、人目さえなければ、本当の本当になりふり構わないのだ……!
「おねがい」と、魅惑の上目使いで小首を傾げられればいちころ、ゼロはそのために爆熱丸との僅かな身長の差を利用することだっていとわない。
そうまでして叶えて欲しかったお願いとは、「さわってもいい?」と至極控えめなものだったので、爆熱丸が「ほらどうぞ」と軽く手を広げてみせれば、けれどもそこに飛び込むではなく、「ここじゃなくてね」、とゼロはあやしく笑ってみせた。
「不器用な君だときっとじょうずにできないだろうから私がやってあげる」と、親切ごかした口振りと可愛らしいお顔で、頼んでもいないのに、とんでもなく奥まったところにまでゼロが指を忍ばせたのだ。だけでなく、もっと決定的なことまでしてくれた。つまり、爆熱丸に覆い被さったゼロの腰が、深く、爆熱丸に食い刺さっている……。
羞恥と恐れと、どうしたって覚えてしまう異物感と気持ち悪さに、ごろごろと溢れる涙で瞳と言わず顔中を濡れそぼらせ、パニックになりながら、けれども振り上げた拳を衝動のままゼロめがけて降り下ろせない爆熱丸を、ゼロは目尻を薄く染めてうっとりと、まるで彼が最も価値を見出だしていて、口癖でもある「美しい」ものを見つけた時のような熱心さで眺めているのだった。
「ねえ、そのまま、頭を撫でて」
振りかぶられた爆熱丸の拳を手に取り、力なく握られた手の中に、ゼロは親指を滑り込ませる。
あっさりと開いてしまった手のひらを親指で撫でてからそっと離すと、ゼロのお望み通り、のろい動きで、爆熱丸は彼の頭を撫でた。震える手でゆっくりと、体を強張らせながら、何度も何度も撫でてくれる爆熱丸の手に、ゼロはさながら花も恥じらう乙女のように薔薇色に頬を染めて、幸せそうに瞼を伏せた。
確かにゼロは器用で、じょうず……だった。
なるほど、間違っても父と子ではないな、とゼロにさんざん鳴かされた後になって爆熱丸は納得したものだ。ゼロが欲しがっていたのは、父子よりももっと甘くて、じれったい関係だったのだ。

「もっと甘やかして、可愛いって思って、私でいっぱいになって………」
言われなくても! 爆熱丸は今日だけでもゼロを可愛いと何度思ったか数えきれないくらいだし、今は初めてばかりで体が追い付かないけれど、もっとずっと、昼はもちろん夜もめいっぱい甘やかしてやりたかった。それに……ゼロが改めて望まなくても、すでに爆熱丸はゼロでいっぱいいっぱいになって、溢れ返りそうなのだから。頭も心も、そして体も(!)。