一国の姫という立場に相応しく、常に凛として折り目正しい、しかし時には茶目っ気たっぷりに笑うリリ姫が、一年の内、薔薇のつぼみがほころぶように、ますますその美しさに磨きがかかる時期がある。
それは暦の上でちょうど、ラクロアが侵略され、騎士ガンダムたちがラクロアから一斉に消え失せた頃にかかる。
騎士ガンダムの親とも言える精霊の樹と泉もあの悲劇を覚えているのか、この時期になるとどんなに天候に恵まれた日よりも活発になる。樹と泉がもたらすマナの流れに、リリ姫は王たる父よりも、五人の賢人よりも過敏で、髪の一本一本から爪の先に至るすみずみまで、あますところなく冴え渡っていた。
アイスブルーの瞳は煌々ときらめき、頬は薔薇色に色付く。
ぴんと伸びた背筋で優雅に立ち居振る舞い、しかしその肩はしなやかに細く、幼さを色濃く残す顔つきに、形のいい唇は常に微笑を刻み、当たりはやわらかいものの隙がなく全く食えないという、王女たる威厳を堂々と誇っている。
触れただけでなにもかもを凍らせかねない、その壮絶な美しさたるや! 棘隠す薔薇ではなくもはや棘そのものだ。
そんな彼女の後ろに、いつものようにゼロは時に口うるさく、時には静かに控えている。
この翼の騎士は、こちらはこちらでこの頃になると、姿は見えずともフェンの存在や見守る眼差しをそこかしこで感じるらしく、濃い水の色をした目は快晴の下の海のように澄み渡り、それとは対照的な色合いのマントを惜しげもなく風になぶらせ、翻させ、いつもより大袈裟に偉ぶって、これ以上ないほど自信過剰になるきらいがあった。
ふたりはとかく絶好調だった。人前では。


ラクロアが復活して初めの一年目は、ゼロがネオトピアに弾き出された頃からの付き合いであるハロ長官が気遣って送りこんだ異国からの客人たちが城を訪れ、連日楽しげに騒ぎ立ててくれた。
シュウトは三つ子たちとセーラ手作りのケーキをめいっぱい頬張って笑い合い、その傍らでリリ姫はセーラに薔薇の花束を見繕って、セーラはリリ姫に特製ケーキのレシピを書いていた。元気丸も非常に歯痒い面持ちで騎馬王丸の隣の席に収まっていたし、ゼロだって、キャプテンと爆熱丸を相手に飽きもせず、お互いに実にもならない話ばかりしていた。
けれども彼らが各々の帰るべき場所に帰ってしまえばひとたび、陽が落ちるにつれて影が伸びるようにして姫は鬱屈とした。
彼らの心遣いが届かなかった……のではない。
むしろその逆、リリ姫はその身分ゆえに初めてできた「同年代の同性の友人」に心底浮かれていた。
お付きの騎士に負けず劣らず「美しいものは尊い」と信じてやまない彼女にとって、セーラはそのお眼鏡に十二分に適う少女だった。掴みどころのない空浮かぶ雲のような性格も魅力的と惜しげもなく口にする彼女に、ゼロはリリ姫とセーラとシュウトを点として、それぞれを辺で結ぼうとしていたのを思い直したくらいだった。
しかし、彼女が日中を人に囲まれて楽しげに過ごせば過ごすほど、夜になれば、明かりもつけずにまるで影絵のように城のある一室にひとり篭もった。
それが一年目。


二年目にもなると、新しく生まれた騎士ガンダムたちの姿がラクロアの各地でそれなりに見られるようになってきた。
今や翼の騎士は、「唯一の生き残り」ではない。生まれたばかりの新しい命、そしてこれからも続々と生まれてくる全ての騎士ガンダムが目指す頂点、希望の光、燦然と輝く唯一絶対無二の道しるべなのだ!
大きく身振り手振りするたびに周囲に薔薇を撒き散らしながら、ゼロが自信たっぷりにそう言うと、つまり一度にたーっくさん舎弟ができるということだな! と、的を得ているのかずれているのか判断しかねる表現を使いながら、爆熱丸はティーカップから薔薇のはなびらをつまみ上げた。
舎弟で思い付いたのか、その隣に座るキャプテンが、明日はガンイーグルとガンダイバーたちを連れて来る、と簡潔にゼロに告げる。頷き、振り返って、ゼロはリリ姫に明日の来客を伝える。
シュウトとセーラと同じテーブルについて穏やかに談笑していた彼女は一層にっこりと笑って快諾した。
ざあっと一陣の強い風が吹き、姫の背後に大量の薔薇のはなびらが舞う。
突風にもうろたえず、はなびらの中に佇む彼女はさながら、パノラマ背景を宛がわれた、良く出来たお人形のようだった。

その日の夜、かつて、今は亡き親衛隊の騎士ガンダムたちが使っていた個室が並ぶ廊下に、ゼロは一枚の薔薇のはなびらが落ちているのを見つけた。
踏みつけて通り過ぎこそしなかったが、かといって拾い上げることもなく、ゼロはそのはなびらが落ちていた扉の前に立つ。
この時期の、この一連に並んだ扉に近づけるのは王でもなく五賢人でもなく、ゼロだけだった。金属の鍵ではなく、魔法で部屋の内側から鍵がかけられているのだ。
「姫」
小さく呼び掛ける。一瞬の間を置き、かけられていた魔法が解かれたのをマナの動きで感知したゼロは、そっと扉を開いて中に入る。
リリ姫が魔法で時を止めた、うらぎりものの騎士ガンダムの部屋は、埃を被ることもなく、本棚に詰め込まれた本が劣化することもなく、カーテンが風化することもなく、まるで部屋の主はちょっと散歩に行っているだけ、すぐにまた帰って来そうだと錯覚させるほどにあの頃のままだった。
部屋の奥、天蓋つきの豪奢な姫の寝台とは似ても似つかない味気ないベッドに突っ伏す彼女は、咲き誇る一輪の薔薇と形容するに値した真昼とは違い、悪意なく手折られ、無邪気に散らされ、地に落とされた小さな野花のようだった。
繊細な造りのティアラは髪飾りや靴と共に床に打ち捨てられ、ミルクティーに良く似た色合いの髪がシーツの上に波打って広がり、端から絹の糸ように流れ落ちている。
ドレスの裾が捲れているのも構わず、脚を投げ出してただただ静かに、シーツに体を沈めている。
腕と髪に覆われていて顔は見えないが、その背中は恐ろしく寂しげで、空っぽだった。ゼロが歩み寄り、ベッドの傍らに膝をつくと、ようやくリリ姫は僅かに腕の中から顔を上げた。
緩慢な手つきで、垂れ下がった髪を指で梳く。色素の薄いそれの隙間から見えるふたつの目は、どこも見ていないがらんどうなどではなく、沼のように暗い瞳の奥底に、明々とした光を携えてゼロを射抜いた。
その光をゼロの心中だけで、それらしく「セントエルモの火」などと呼んでも良かったが、ラクロア以外の国の文化を吸収した彼には、それ以上にぴったりの名称が思い浮かんだ。
これは闇にぽっかりと浮かぶ、橙に燃える送り火だ。おどろおどろしく揺らめく火の玉でもいい。

これはふたりがいつも通りの、否、いつも以上に調子のいいリリ姫とゼロとして、平穏な朝を迎えるための、日常に戻るための儀典のようなものだ。
かつての友が寝起きし、身体を休めていた寝台に背を預け、ゼロは焦点の定まらない目で姫を見上げる。
リリ姫は、我らが姫君は、黙って寝転がるゼロを跨いで、わずかに息を荒げて彼と同じように黙りこくっていた。裾の長いドレスが彼らの体のほとんどを覆い、そこからはみ出した爪先だけがちらりと覗いている。
ゆるやかにカーブを描く彼女の輪郭を、玉のような汗が伝う。
人と騎士ガンダムだ。人間の女性のそこは騎士ガンダムを受け入れるようにできていない。きつく目を瞑り、リリ姫は鬱血しそうなほどに唇を噛む。
「うっく、……っく……」
そんなに辛いのならお止めになればいいのに、と、さして止めて欲しいと思っていない調子で、霧のかかったような頭でゼロはぼんやりと考えた。
嫌悪感こそ今ではもう薄れたが(この行為そのものへの嫌悪感であって、断じて姫にではない、そんなものは初めからない)、しかし、これはただ熱いだけだ。気持ち良いにはいいのだが、温かい湯に浸かって気持ちいいだとか、人肌に抱きしめられて気分がいいだとか、そういう類のものだ。
ゆえに、ゼロにとってリリ姫とのこれは、あえて名称をつけるのなら、性交ではなく、少々度の過ぎたスキンシップであった。スキンシップ、のわりにはろくに言葉も交わさない、不自然極まりないものだったが……。
恐らく、こうして繋げるものはあるにはあるが、騎士ガンダムのそれには人とまぐわって快楽を得るような機能は備わっていないのだろう。ならば同類同士ではその役目を果たすのだろうか、未だ女性の騎士ガンダムにはお目にかかったことはないし、そもそも存在するのかもわからない。
自分と彼女では生産性は全くない、そもそもここラクロアでは人と騎士ガンダムではまぐわうどころか、精神的に特別な結びつきを得ようとすることすら禁忌である。
愛しい姫を手に入れたいが為にその禁忌を犯し、この国を一時的にとはいえ壊滅させ、数多の騎士ガンダムを葬った戦犯の部屋で、よりにもよってそのお姫さまとそれに従う騎士が、よくもこんなことを。呪われかねない……しかしこの状況も、これはこれで呪われていないとは言い難いが。
一連の裏切り、侵略行為がなければ間違っても自分達はこんなことにはなっていなかったとはいえ、ひょっとしたら彼よりも今の自分たちの方がよっぽど罪深いかもしれない。
ゼロをより深く体内に飲み込むように顎を上向けていたリリ姫は、やがてかくんと首を落とし、淡い水色のドレスと、ゼロの濃い赤色のマントの境目を握り締めた。
まとめて握られた二枚の布が、ぐちゃりと皺をつくる。
アイスブルーの瞳が熱でとけたように、はらはらと涙を零すリリ姫はこんな時であっても美しく、むしろ額にはりついた髪の一房ですら緻密に計算された上で加えられた装飾品のようで、傾国の美女というのも難儀なものだなとまったく他人事のようにゼロは思った。

非常に微かな、喘ぎ声というにも憚れるような控え目な声が、リリ姫の唇からころりと落ちる。
「は、………っぅ…」
それを聞くとはなしに聞きながらゼロは、なんであればこの時ばかりは、彼女が望むのならばディードと呼ばれてもいいとすら思っていた。ロックでも、ナタクでも、バトールでも、トールギスでも……デスサイズと呼ばれたって、厳粛に全て受け入れる。
リリ姫の、白魚の骨ようなか細い指がゼロに向かって伸ばされた。
なんなら、と桜貝のように可愛らしいきれいに手入れされた爪がぴったりと収まっているその指先を見つめながら、ゼロは更にくだらない思考を積み重ねていった。
なんだったら、このまま首を絞められて、呆気なく殺されたって一向に構わない。
日が沈むたび、様子が変わるのはリリ姫だけではない。ゼロもまた昼間の気力充実ぷりはすっかり消え失せ、鼻持ちならない態度は途端に何に対しても投げやりになり、無暗に捨て鉢な事柄ばかりを夢想している。
姫様の手で、息を止められて、マナの恩恵が届かない遠いところに行ってしまっても、それで彼女の気がすむのなら、別にそれはそれでいい。非力な彼女の単純なる腕力だけでは、頑丈な騎士ガンダムを仕留めるまでにはとても至らないが、内に秘める魔力を持ってすればできないことではない。
騎士として生まれた己の全てを根から否定する馬鹿げた考えがばれたのか、リリ姫の指は迷いなくゼロの首に触れた。しかしそこに絡まるでなく、喉を伝って頬に添えられる。
転がり出たのは他のどの騎士のものでもなく、正真正銘、自分の名前だった。
「ゼロ……!」
耳を傾けながら、この名を授けられて良かったなどと場違いなことを考える。こうして彼女に呼ばれる名が短ければ短いほど、余計な嬌声が入り込むこともない。
ぱたぱたと涙がとめどなく零れ、恵みの雨のようにゼロの顔に降り注いだ。
そこでようやくゼロは投げっぱなしだった腕を持ち上げ、濡れたリリ姫の目元を拭った。